2016年4月13日水曜日

来日したムヒカ前大統領は日本人に何を語ったのか?

来日したムヒカ前大統領は日本人に何を語ったのか?
2016年4月12日

4月5日から本日12日まで日本を訪れていたムヒカ前大統領。彼は日本を見て何を感じ、日本人に何を語ったのでしょうか?詳細は以下から。

「世界一貧しい大統領」として知られるウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領。
2012年のリオ会議での歴史的なスピーチを始め、貧しい家庭に生まれ、ゲリラとして戦い、2年間井戸の底に投獄された後に大統領となった数奇な経歴と、自身の経験から生まれた鋭い洞察力と慈愛に満ちた言葉は世界中で熱烈な歓迎を受けています。

BUZZAP!ではこれまでもムヒカ前大統領の言動を数多く取り上げて来ており、現在も
「「世界一貧しい大統領」と呼ばれたムヒカ前大統領の日本人へのメッセージが素晴らしすぎる | BUZZAP!(バザップ!) 」
の記事は6000回近くシェアされ、ぶっちぎりで人気記事ランキングのトップを独走しています。

そのムヒカ前大統領は今年の4月5日から本日12日までの予定で初来日を果たし、東京から京都、広島などを回り、講演やサイン会などを行い、いくつもの取材やインタビューに応じています。
いったい彼は日本で何を見て何を感じ、そして私たち日本人に向けて何を語ったのでしょうか?まとめてみます。

◆東京都千代田区での記者会見

ムヒカ前大統領は4月6日に『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』の発売を記念して記者会見を行っています。
日本政府が憲法解釈を変更、他国を武力で守ることを可能にした安全保障関連法を制定したことについて
「憲法の解釈を変えたのは、日本が先走って大きな過ちを犯していると思う」
と批判したことが報じられましたが、それだけに留まらず、パナマ文書に名を連ねるような富裕層による富の独占をも批判しています。

「“私たちは今幸せに生きているのか”ということを常に考えることです。
私たちは多くの富を抱え、科学技術が進歩した時代に生きています。
150年前と比べて人間の寿命は40年も伸びた一方で、軍事費に毎分200万ドルもかかるようになり、世界で最も裕福な100人ほどが人類の富の半分を所有するようになってしまいました。
こうした不均衡を作りあげたルールが支配する世界になっています。
若い人には私たちの愚かな過ちを繰り返さないでいただきたいです」

「私は修道士のように生きろと言っているわけではありません。
富に執着するあまり絶望に駆られる人生を送ってほしくない、ということです。
ささいなことではあっても人間にとって本当に重要なもの、たとえば愛であったり、子どもを育てることであったり、友達を持つこと、そういうことのためにこそ人生の時間を使ってほしいと思います。
生きていること自体が奇跡なのですから」

「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ来日 経済格差を「愚かな過ち」と批判 – 新刊JPニュース

◆東京外国語大学での講演「日本人は本当に幸せですか」

4月7日に東京都府中市の東京外国語大学で「日本人は本当に幸せですか」とのテーマで学生たちに向けて講演を行いました。

ムヒカ前大統領は「より良く生きること」を重視。
「過剰な消費生活を見直し、市場にすべてを任せない節度が求められる」
として、消費主義一辺倒であることを省みる必要があるとしています。

また、日本の若者の投票率の低さに対しては
「民主主義には限界があるが、社会を良くするために君たち若者は闘わなければならない」
と語っています。
貧しさについては
「貧困は、過剰に物を求めることから生じる。
私は貧乏なのではなく、質素が好きなだけ」
として「エゴイズムにブレーキをかけ、世界の人々と共に助け合おう」と述べています。

また、若者に対してパナマ文書を引き合いに出し
「自分の資本を増やすためにだけ、いろんなタックスヘイブンを使ったりしてお金を動かしている人」を挙げ

「みなさんのような若者は、こういった状況に対して闘わなければいけません。
こういった非常にバカげたこと、悲惨なことを止めるために何かしなければいけません。」

として「闘うべきである」ことを強く主張しています。

この講演の全文書き起こしをログミーが掲載しているのでリンクを張っておきます。
スピーチから質疑応答まで、全てが極めて示唆に富んでおり、特に若い人にはじっくり繰り返し読んで欲しい内容となっています。

世界で一番貧しい大統領ホセ・ムヒカ氏が来日講演会で語ったこと – ログミー

なお、ノーカットの動画がアップされていますので、お時間のある方はこちらも。

ホセ・ムヒカ講演会「日本人は本当に幸せですか?」【ノーカット】東京外国語大学2016.04.07 – YouTube

東京新聞 「社会を良くするため若者は戦え」 ムヒカ前大統領が東京外大で講演 社会(TOKYO Web)

◆自ら強く望んだ広島訪問

「わたしは、日本に来て、広島を訪問しないことは、日本の歴史に対する冒とくだと思います」
とまで述べて熱望した広島への訪問。
4月10日にムヒカ前大統領は原爆ドームを訪れ、その後広島平和記念資料館へと足を運びました。

「原爆を作った男は、非常に頭のいい男でした。
原爆を作ることで、どういうことが起きるかわかっていました。
でも、自分自身にブレーキをかけることができませんでした。
人間は、ばかげたことをするものなんだ。
科学には、まだ多くの使命が残されているが、倫理観が欠如すると、悲劇を生むのです」

ウルグアイのムヒカ前大統領、熱望していた広島県を視察

また、東京に戻った後、最も印象に残った場所を訪ねられて広島だと回答。

「科学が、人間にどんなに悲惨なことを教えるかを知った。
そして、道徳観、倫理観のない科学がもたらす悲劇も知った」
「この世の中には、人類が決してやってはならないことがあると、将来の世代は気づかなければならない。
なぜなら、この世の中に生きている動物の中で、同じ石につまずく動物は人間だけだからだ」

ムヒカ前大統領、来日中最も印象に残った広島訪問 – 社会 日刊スポーツ

この地球上で最も繁栄している知性だと自負する私たち人類を
「この世の中に生きている動物の中で、同じ石につまずく動物は人間だけだ」
と鋭く見抜く一言を、私たちは無視することはできません。

◆NHKの単独インタビュー

東京に戻ったムヒカ前大統領はNHKの単独インタビューを受け、格差社会についてこう語りました。

「富裕層への富の集中が進み、これ以上ないほど豊かな人がいる一方、取り残される人たちが先進国でも増えている。
そこに向き合うべきは政治だ。
不公平をそのままにすれば争いが生まれてしまう」

「最先端の社会であっても多くの人々が孤独という問題を抱え、日本でもたくさんの高齢者が孤独だ。
どうこれを正していくか、簡単ではないからこそ国民が政治的に闘う必要がある」

「世界で一番貧しい大統領」政治主導で格差解消を NHKニュース

繰り返し立ち現れる富の集中による格差と貧困の問題。
そしてここでもムヒカ前大統領は国民に対して「政治的に闘う必要」を主張しています。
自らが長くゲリラとして闘い、長い投獄という苦難を経てもなお勝利をつかんだからこその言葉と言えそうです。

◆ムヒカ前大統領は日本人に何を語ったか?

まず、誤解してはいけないのはムヒカ前大統領は「物質に執着しすぎるな」とこそ言っていますが、決して清貧の思想などを語っているわけではないということです。

ムヒカ前大統領への「世界一貧しい大統領」という呼び名を思い出してみましょう。
本来、大統領という極めて地位が高く、収入も多く、富裕層とのコネクションも豊富な立場にいながらも、ムヒカ前大統領はそうしたライフスタイルにNOを突きつけたわけです。

つまり、ムヒカ前大統領が自らの生き様をもって批判しているのは
「余りにも多くを持ちすぎている富裕層」です。
これは来日した際の複数のスピーチの中でも明確に示されています。
彼は一般国民に清貧の思想を説いているのではなく、
むしろ物質に執着しすぎ、格差や貧困をはじめとした諸問題に向き合うこともせず、単に自らの資産を増やすことにのみ躍起になっている、パナマ文書に名の上がるような富裕層を批判しているのです。

そして一般国民に対しては、
肥大化した資本がこれでもかと私たちを取り込もうとする大規模消費社会に巻き込まれないようにと警告を発します。
そして、不均衡な状況を変えるために政治的に闘うべきだとしています。
ムヒカ前大統領は
「何かあなた自身を幸せにするものを探してください。
ほかの人を幸せにすることを考えてください」
とも述べますが、
その自分自身や身近な人を幸せにするためにも、闘わなければならないことは言うまでもありません。
なぜなら既にそうした状況が目の前にあるからです。

いろいろな方向から、多くのことについて語るムヒカ前大統領ですが、その芯には確実にブレない部分が存在しています。
ちょっとした言葉の端々、ひとつひとつのディティールの中にもそうした芯は存在しています。
一度だけでなく、折に触れて彼の言葉を何度も読んだり聞いたりしてみると、より深く彼が何を語ろうとしたのか、じっくりと染みこんでくるのではないでしょうか。

ヒッチハイクで乗せてくれたのは「世界一貧しい大統領」その人柄が心に沁みる

「政治の放棄は少数者の支配を許すことにつながる」 ムヒカ・ウルグアイ前大統領 講演
2016年4月9日 東京新聞

 <ホセ・ムヒカ氏>

 1935年、ウルグアイの首都モンテビデオ郊外の貧しい家庭に生まれた。
10代から政治活動を始め、60年代初期に当時の独裁政権に対抗するゲリラ組織に参加。
投獄は4回、1972年の最後の投獄は約13年間に及んだ。
1994年に下院議員に選出。
農牧・水産相を経て、2010年に大統領に就任。
13、14年にノーベル平和賞にノミネートされた。
15年、任期満了で大統領を退任した。


2.統一協会の支援した国ウルグアイの言論統制の事例

統一協会がかかわった期間のウルグアイの歴史は、以上の通りでした。

http://www.consortiumnews.com/2004/090704.html

Moon first sank down roots in Uruguay during the 12-year reign of right-wing military dictators who seized power in 1973.

統一協会は、最初に、1973年にウルグアイで権力を握った右派の12年間の軍事政権の統治下でのウルグアイの地下深くに根を下ろした。

この1973年からの12年間の軍事政権の状況がどうであったか、、、
以下のウルグアイの歴史サイトの年表から見てみます。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/laplata/urguay.htm
--------引用はじめ------------------------
軍事独裁の時代

1973年
2.09 陸軍と空軍,ボルダベリの民間人国防相指名に反対し反乱.
放送局と港湾を占拠.統一・改革のホルヘ・バチェを逮捕


2.10 軍部,一連の政治・社会・経済改革案をふくむコミュニケを発表.政府に実行を迫る.海軍は当初大統領に忠誠を誓うが,後に反乱側に傾く.

2. 13 ボアッソ・ランサ協定にもとづき国家保安会議 (Consejo de Seguridad Nacional--Cosena) が設置される。
三軍総司令官と統合参謀本部長の軍人4人,国防相,内相,外相,民間人3人よりなる。
これにより軍の顧問としての役割と政治的決定過程への 参加が保証される.
コセナは大統領を越える権限を持つこととなり,事実上の軍政に移行.

4月 議会,軍部の提案した国家安全保障法を拒否.
軍の権限逸脱と行き過ぎに不信を抱き,軍による拷問事件の調査に乗り出す構えを見せる.

コロラド党のパチェコ派とブランコ党のアゲロンド派は,ボルダベリ=軍部支持に回る.

6.27 ボルダベリ大統領,軍部の意向に沿い議会を閉鎖
すべての政党の活動を停止,反対派の新聞を閉鎖.
軍と警察に秩序維持のためのあらゆる手段をとる権限を付与,軍部独裁に道を開く.

6.28 全国労働者協議会(CNT),抗議のゼネストに突入.
2週間にわたり工場占拠闘争を続ける.

6.30 25人からなる国家評議会が設立される。

7.01 軍部,モンテビデオを占領。
ストを実力で粉砕.大学を占拠.共産党など左翼政党を非合法化.

7月 軍部,「国家保安憲章」を公布.
国家存立の危機にあっては,国家主権は人民に属するものではなく,
国家の生き残りという大義に由来すると宣言.

1976年
6.12 軍部,ボルダベリ(大統領)を追放.
デミチェリ国家評議会議長を臨時大統領に昇格させる.
デミチェリは憲章第一号を公布.総選挙の無期限延期を宣言.

6月 軍部,全国労働者連合を非合法化し,拡大戦線議員を追放.
左翼政治家の大量逮捕や投獄
大学への介入や学生・教職員の逮捕
拡大戦線加盟政党の非合法化,
新聞・ラジオ・雑誌の検閲

そしてさらに保守政党をも活動停止処分に.

7.14 国家評議会,最初の大統領に文民のアパリシオ・メンデスを任命.

7.16 国際法律家協会(ICJ) 、ウルグアイにおける人権侵害を非難する決議。
アムネスティ・インターナショナル,ウルグアイの人口あたりの政治犯の比率は地球上のどの国よりも高いと述べる.
国民500人に一人が投獄され,

国民の1割にあたる30万から40万の人々が国外亡命するという暗黒政治となる.

7月 コンドル作戦.拡大戦線の創設者セルマル・ミチェリーニ(Zelmar Michelini)と国民党のエクトル・グティエレス・ルイスが,亡命先のアルゼンチンで,相次いで殺害される

9月 米議会は人権問題を理由にウルグアイへの軍事援助を停止する決議.

1977年
2.24 バンス米国務長官,人権抑圧が続くかぎりアルゼンチン・ウルグアイへの軍事経済援助を削減・停止すると発表.

3.01 アルゼンチン・ウルグアイ,米国の軍事援助を拒否すると声明.

8.09 評議会,1981年に民政移管を実現すると発表.それまではコロラド・ブランコ両党の活動は禁止されることとなる.
憲法が成立した後,両党の合意のもと1選挙区一人の候補者が立起を許されるとされるが,
その後も軍の拒否権は留保される..

1978年
78 アルバレス議長退陣.軍部はさらに極右化.反政府勢力の弾圧を専門とする国家情報機関,ESEDENA創設

78年 政府,外資導入を促すため「クローリングペグ」システムを導入.
ペソの下げ幅を抑制する政策.これにより大量の外資が流入する.
国内での激しいインフレのためペソは過大評価され,輸出は停滞.後の対外債務増大の原因となる.

1980年
11.30 軍部提案に対する国民投票実施.軍の広範な介入の余地を残した案に対し,国民は反発.
64万(43%)対88万票(57%)の大差で否決される.
軍部,ふたたびいっさいの政治活動を禁止

80年 厳しい緊縮政策により,物価上昇率は40%に低下.GDPもわずかながら上昇傾向に転じる.社会保障には大なたが振るわれ,実質賃金は10年前の50%にまで低下.

1982年
11月 メキシコに始まった金融危機がウルグアイを襲う.政府は通貨の「クローリング・ぺグ」制度を廃止.
多量の海外資金を受け入れた企業・金融機関はたちまち返済不能に陥る.

82年 ペソ切り下げにもかかわらず年間物価上昇率は20%にまで低下.いっぽうGDPは2年間に20%低下し,国内産業はほぼ全面崩壊.
失業率は17%まで跳ね上がる

74年オイルショック以来の対外債務は,国際的な高金利により雪だるま的に膨らみ続ける.

1984年
84年 ベグ蔵相による経済たてなおしは失敗.累積対外債務は30億ドルに達する.

1985年
2月 民政移管を前に,軍による再クーデターの動きが広がる.労組はゼネスト体制を確立し,軍の動きに備える.

3.01 民政移管.コロラド党(保守党)のサンギネッティが大統領に就任.この時点で49億ドルの対外債務を引き継ぐ.

3.01 最初の施策で共産党の合法化と機関誌「エル・ポプラール」の発刊許可.続いて労働組合の団交権,スト権に対する制限法を撤廃.共産党の影響下にあった労働者全国評議会(CNT)の復活も認める.
------引用おわり------------------------------

ウルグアイから軍事政権と統一協会がいなくなって「やれやれ一安心」という感じです。
ウルグアイでは経済停滞がすさまじかったようです。

ボリビアも、統一協会とガルシア・メサ政権以来、経済の進歩がストップし、世界の最貧国になりました。

統一協会の特徴に、
弾圧と、
新聞・ラジオ・雑誌の検閲と、
そして、貧乏(現在は、統一協会員に限定されていますが)
(国全体に力が及ぶと国全体が貧乏)があるようです。


[19050]ランナー氏へ by.元統一幹部? 2006年06月10日(土) 12時06分?■

>軍事政権と統一協会がいなくなって「やれやれ一安心」という感じです。
>経済停滞がすさまじかったようです。

人を傷つけたり(殺害)抑圧すると経済は停滞するよね?

>ボリビアも、統一協会とガルシア・メサ政権以来、経済の進歩がストップし、世界の最貧国になりました。

今の日本統一協会みたいだね!

>統一協会の特徴に、
>弾圧と、
>新聞・ラジオ・雑誌の検閲と、
>そして、貧乏(現在は、統一協会員に限定されていますが)
>(国全体に力が及ぶと国全体が貧乏)があるようです。

同感です。

文鮮明と統一協会組織の体質と右派軍事政権の権力者の体質とどこか似てるんだろうねぇ。

僕は、優秀で世界にも良い貢献できる人材を悉く潰してきた文鮮明や、組織は、世界平和なんて微塵も考えてないと理解してます。

彼等は、どちらかっていうと、社会も人も国も破壊することには才能ある人たちだね。

(追伸)統一協会は、今の日本で、これから伸びていこうとするインターネットを規制して、
言論統制するとともに、新しい産業を潰す動きをしているようです。
きちんと対応しないと、国全体が貧乏になるかもしれない。



(安倍内閣には、以前(2007年)からこどもの貧困の問題が指摘されていました。その指摘への応答結果が以下のグラフです。)

(こどもの貧困率の逆転現象)
http://www.jec.or.jp/soudan/images/kikanshi/66-2-7.pdf
 子どもの貧困率は、世界的な経済状況よりも、国内の政策という人為的かつ意図的なものに左右される度合いの方がはるかに大きい。これを示すのが、上の図である。
 上 図は、先進諸国における子どもの貧困率を「再分配前」(就労や、金融資産によって得られる所得)と、それから税金と社会保険料を引き、児童手当や年金など の社会保障給付を足した「再分配後」でみたものである。再分配前の貧困率と再分配後の貧困率の差が、政府による「貧困削減」の効果を表す。
 先進諸国においては、再分配前に比べて、再分配後には貧困率が大幅に減少している。つまり、政府の再分配政策(税制や社会保障制度など)によって、子どもの再分配前の貧困率を、大きく削減している。

 この図の衝撃的なところは、日本が、OECD 諸国の中で、唯一、再分配後の貧困率が再分配前の貧困率を上回っている国である。つまり、日本の再分配政策は、子どもの貧困率を削減するどころか、逆に、増加させてしまっているのである。 

(仮説)この嘘が存在する方が、貧困の存在よりも青少年の心を荒らしていると考える。

 こどもの貧困については、安倍内閣には以前から、以下の様に、こどもの貧困の問題が指摘されてきました。

2007年2月13日、日本共産党の志位和夫委員長が、衆院予算委員会での総括質疑で、子どもの中での貧困の広がりを指摘し、「成長の可能性をはばむだけでなく、貧困が次世代に引き継がれる危険をつくりだしている。日本の未来にとって重大な問題だ」と、安倍晋三首相を問いただした。
志位氏は、経済協力開発機構(OECD)の報告書をもとに、平均的所得の半分(貧困ライン)以下の家庭で暮らす子どもの割合が、OECD諸国平均を上回る 14・3%にのぼると指摘。とくに母子家庭・ひとり親家庭では貧困ライン以下の家庭で暮らす子どもの割合が57・9%にものぼり、平均の三倍近くになるこ とを明らかにした。

 安倍首相は「貧困が再生産される日本にしてはいけない」と答弁した。

 志位氏は、子どもの貧困に向き合う政治の責任として、予算のあり方と最低賃金の問題を取り上げた。

 志位氏は「税制と社会保障で所得の再分配をおこなうことが予算の役目だ」と指摘。ところが、日本では税制と社会保障によっても子どもの貧困率が逆に1・4%高まるという逆立ちぶりを浮き彫りにしたグラフを突きつけた。

 志位氏は、所得の低い母子家庭に対して子どもが十八歳になるまで支給されている児童扶養手当の大幅削減を政府がすすめようとしていることを批判し、
生活保護を受けている母子家庭への母子加算の段階的廃止を政府がすすめようとしていることを批判し、
「母子家庭の『命綱』を二本ともたち切ろうとする冷酷な政治だ。
中止を強く求める」と要求した。

 母子加算の段階的廃止について、安倍首相は「生活保護を受給している世帯と、していない世帯との公平性をみないといけない」とのべた。志位氏は「懸命に 生きている母子家庭から母子加算を取り上げるのではなく、必死に働いても生活保護水準以下の暮らししかできない母子家庭の水準を引き上げるために心を砕く ことこそ、本当の公平性だ」と厳しく批判した。

最賃の抜本的引き上げを

 さらに志位氏は、貧困の広がりの土台に世界でも最低水準の最低賃金があるとして、「最低賃金で働いても貧困にならない社会を目標にし、最低賃金を労働者の平均的所得の五割にすることを目標に掲げるべきだ」と求めた。

 安倍首相は「中小企業を中心に事業経営が圧迫され、雇用が失われる可能性が高い」と答弁。
志位氏は「中小企業の経営を圧迫するというなら、無法な下請けいじめをやめさせることこそ必要だ。
最低賃金の抜本引き上げを中小企業の経営を応援する政治と同時並行ですすめるべきだ」とのべた。
その上で、「貧困と格差を土台からただしていくために、最低賃金を抜本的に引き上げ、全国一律の制度とすることを強く求める」と強調した。

http://sightfree.blogspot.jp/2012/10/1995.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/rikon10/01.html
 (当ブログのコメント)貧困は、上のグラフのように、夫婦生活を破綻させて離婚をもたらします。

統計のグラフを見ますと、離婚数と世の中の景気は連動しているようです。景気が良い時は離婚数が減り、景気が悪くなると離婚数は増えるようです。

母子家庭の原因の離婚の原因は貧困
を参照。


 以下でもう少し貧困の影響を考察し、貧困自体+貧困に対応する政治の嘘が、青少年の心を荒らすのではないかとも考えます。

2009年以降に、小学生の暴力爆発もある。

(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計の、各年度の「少年の補導及び保護の概況」の報告による)

(仮説1)小学生の親の2009年以降の家庭経済悪化が児童の虐待・抑圧を生み、その抑圧が児童の心を荒らしている可能性がある。下のグラフでも、2009年に急速に実質賃金が低下してから小学生の暴力が急増した。 
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000026271631
上のグラフのように、2009年以降は過去に無い実質賃金の低下がある。
 しかし、下のグラフのように、不幸を表す指標としての「青年の自殺率」は2009年以前の1997年から増えてきています。

http://president.jp/articles/-/17058
舞田敏彦の著作:武蔵野大学、杏林大学兼任講師

自殺する年齢の青年の悩み(例えば就職の悩み)と、小学生の親からの抑圧による悩みとは、種類が違うので、同じ時期に発現するとは限りません。また、親の貧困に比例して子どもの虐待が増えるとも限りません。
 小さな貧困ならば、貧困ゆえに親が子どもを愛することに生きがいを感じるので子どもが幸せでいられるとも考えられます。
「貧困=不幸」というわけでは無いとも考えます。
しかし、2009年の貧困レベル程に貧困が限界を超えて大きくなると、親の生活が破たんして生きることが困難になり、親が子どもを虐待し始めるとも考えられます。

(右翼政権が教育を破壊し貧困を増加させる)
(教員の処罰の背景)
 社会の貧困問題が大きくなって来ているので、教員が社会問題を学生に知らせると政権を批判をする学生が育つ可能性があるため、安倍政権が社会教育を禁止しようとしていると考えられる。
 民主主義体制ならば、政権批判を恐れる必要は無いが、戦前体制では批判意見を封じる必要があるためと考えられる。 

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