ヒロジさん・文子おばあへの弾圧と土人発言
2016年10月26日
辺野古や高江で反対運動をリードしてきたヒロジさんが、逮捕後10日経っても釈放されない。
そして文子おばあまでも名護署に呼ばれ、事情聴取を受けた。沖縄の抵抗運動の象徴でもある二人に対して、今、あからさまな弾圧が始まっている。
今、高江ではヘリパッド建設予定地の山の中、実際にうなりを上げている重機の前まで行って抗議行動をしている。
米軍提供区域なのだから、逮捕される可能性は否定できない。そんなリスクのある抗議行動に転じたのにはわけがあった。
7月22日、1000人の機動隊によってゲートが開けられてからは、ヘリパッド工事の作業車の列を止めようと、人々は県道で身体や車を使って阻止行動をしてきた。しかし毎日渋滞に巻き込まれてしまう地域住民からの苦情が大きくなっていた。これ以上県民の支持を得られない方法を続けたくない。ヒロジさんたちは逮捕覚悟で山に入るようになった。G地区やH地区は40~50分の山道を行くのでかなりきついが、高齢の女性も含め、毎日数十人が建設現場を目指して山に入って行く。
17日も、そうやって工事現場に行く仲間が安全に通れるように、ヒロジさんは有刺鉄線を二本切断したという。逮捕は3回目、今回は器物損壊の現行犯。警察は防衛局員と入念に打ち合わせをし、逮捕の段取りを進めていたようだ。さらに拘留中の20日、傷害と公務執行妨害の容疑で再逮捕された。防衛局員を「揺さぶった」「つかんだ」という疑いだそうだ。テントにも、自宅にもガサ入れがあった。なにがなんでも今回はすぐには出さぬ。なにがなんでも年内にヘリパッドは完成させる。反対運動を徹底的に追い込んでやろうという政府の圧力をひしひしと感じる。
一方、連日ヒロジを返せ、と名護署にも通っている文子おばあ87歳。
反戦おばあの代表格である彼女は21日、同じ名護署に任意取調べで呼ばれていた。
告訴したのはなんと42歳の国会議員。
この話はにわかに信じがたく、怪しいので触れたくもないのだが、
和田政宗議員は5月9日、メインゲートの前で反対運動を批判する演説をしていたところ、文子おばあに暴力を受けたと主張している。
87歳の車椅子の女性が42歳現役議員らに暴力を振るったと。
しかも証拠という映像は、無断で顔を撮り続ければ怒るであろうおばあに執拗にカメラをむけたもので、叩き落されたようにカメラが落下して、そこに偶然「イテテテ」と言う撮影者の顔が映っているという、
摩訶不思議な仕上がりでネット上に散乱している。
任意ではあるが、たびたび出頭するように連絡を受けていた文子さんは、「あたしは逃げも隠れもしない。悪いことはしていない。さっさと終わりにしたい」と話していた。周囲は体調などをとても心配しながらも、それならばとみんなで堂々と送りだし、また迎えようと名護署前に大結集した。
「若い警察官と会うんだからねえ、お化粧してきたよ」とみんなを笑わせながら、拍手を背に笑顔で警察署に入っていったが、1時間もしないででてきてしまった。顔面蒼白だった。迎える大勢の仲間たちに報告することも控えて、まっすぐ帰宅をした。一体なにがあったのか?
原因は、右翼のサイレンだった。名護署前に集まる人々に罵声を浴びせ続けた右翼の宣伝カーが、戦争を思い出させる軍歌を立て続けに大音量で流し、空襲警報を思わせるサイレンを鳴らし続けた。壮絶な戦争体験を持つ文子さんは、戦争のドラマをワンシーンを見ただけで胸が苦しくなってしまうほど敏感な方だ。署内でその音を聞くうちに動悸がして、生唾が出て、弁護士がずっと背中をさすっていたがとても話をする体調ではなくなってしまったので切り上げざるをえなくなったという。
私は怒りを覚える。87歳の高齢の女性に数ヶ月にわたって出頭を迫り、話なら自宅でといっても聞き入れずに、右翼の攻撃にさらすような状況での事情聴取に追い込む警察。警察機関とは、そんなに無慈悲なものなのか。警察署以外で事情聴取したら、おばあの仲間たちに囲まれてしまいそうで怖かったのか。これが、基地のない未来を次の世代に残したい一心で、暑い日も寒い日も現場で頑張っている文子さんに対してすることなのか。日本中に、世界中に、文子さんが涙を流してトラックの前に立つ姿が届けられている。たくさんのエールが届いている。そういう女性に対するリスペクトや配慮は、警察官に期待してはいけないものなのか?
映画の追い込みで連載を休んでいる間にいろいろなことがありすぎた。でも今回はもう一つ、ついでにこちらも警察官の見識が問われている「土人発言」についても触れておきたい。
高江で抗議行動中に大阪の機動隊員から沖縄県民に発せられた「土人」「シナ人」発言。これについてはヘイトや差別の問題として捉えることもできるが、私はあえて「国防をめぐる中央と辺境の問題」という視点で書きたい。国家というのはしばしば、国境周縁部の土地と住民を軍事利用し、国防の義務を押し付ける。日本の歴史を見ても、中央は自らの利害を優先し、辺境に暮らす人々をどんなに都合よく利用し、また見下してきたか。それは今の沖縄をめぐる構造差別の問題そのものだと思う。土人発言をした機動隊員個人が、たまたま差別意識が強かったとか、無知すぎて言葉の意味がわからなかったなどという話に矮小化してはいけない。
「土人が!」という言葉の裏には「土人のくせにつべこべいうな!」という意味がある。そこには「お前らごときに国策に文句言う権利などない」と言う人を見下した意識が垣間見ることができる。では機動隊員はなぜ、彼らは上から目線なのか。日本の安全保障という大義を遂行する側にいることで自分の正当性は保証されている、と思っているのだろう。正しい高みに自分はいるのだ、と。そしてこんな風に思っているのかもしれない。
「中国が攻めてくるという国家の危機を理解せず、国防に非協力的で、自分優先でワーワー言うだけの反対派というグループは、自己中で公共心のない下等な生き物だ。沖縄にはその手が多く、問題だ」と。そんな沖縄県民に対する評価が警察内部で共有されているからこそ、あの機動隊員は悪びれずに暴言を吐いたのだ。
しかし、この偏見の歴史は深いのである。国策に協力的ではない沖縄をなんとかせねば、という中央の身勝手な発想は明治期からあった。国家のために身を投げだす立派な「防人(さきもり)」になってもらいたいのに、全くもってなってないと蔑む視線。沖縄の人々は日本人として不十分で、戦争に協力しない困った存在であるという論理の下、その後皇民化教育が徹底されていくことになる。
国防の観点から、沖縄の県民性を問題視する「調査報告」の類が何度も書かれている。明治31年、沖縄に徴兵令が実施される。しかし沖縄県民は兵役逃れで自ら身体を傷つけたり、村全体で徴兵に反対したりする有様だった。これを「改善」するため、軍部や役所などの機関は明治期から沖縄の思想、風俗の調査をし、これを問題視してきた。(明治43年「島尻郡誌」など)
大正11年12月、県出身兵教育のためにつくられた沖縄連隊区司令部のリポートでは、沖縄の県民性について偏見に満ちた評価が並べられている。 ・進取の気性が乏しく優柔不断で意志は非常に弱い ・行動が鈍く、機敏でない ・強者をくじき、弱者を助けるという男気、犠牲的精神というものが全くない ・気力がなく、節度もなく、責任感が乏しい ・向上発展の気概がない ・婦人に優雅さがないことは他に類を見ない、などと主観に過ぎないものを含め散々だ。一方、数少ない利点として、理屈を言わず安い報酬に堪え、使いやすい民である、とも書かれてある。
沖縄戦前夜、沖縄に駐留を始めた石部隊(62師団)が昭和19年に書いた会報には、恩知らずで打算的な傾向が強い、女性の貞操観念が弱いので誘惑されるな、などと書かれている。そして「デマ」が多い土地柄だから防諜上、極めて警戒を要する地域である、とか、住民は一般に遅鈍であるため事故が多いという記述がある。
これらはただの偏見で終わらなかった。この「自分たちとは違う」という一方的な評価の下で、沖縄戦当事、軍隊は県民に残虐行為を働いていく。たとえば、敵の上陸と玉砕と言う運命がわかっていながら、ギリギリまで労働力として沖縄県民を使い、彼らの安全を後回しにしたばかりか敵の上陸目前となれば、足手まといだとして集団自決に追い込んでいった。「愚鈍で責任感が薄い」沖縄県民が、軍の機密を知りすぎているとして、スパイの疑いを理由に殺害した。捕虜になって敵にぺらぺらしゃべってしまいそうな沖縄県民の口を封じることは、皇軍の崇高な目的のためには止むを得ないと正当化する。無実の沖縄県民の命を奪ってもさして胸が痛まない。その冷たさは、自分と彼らはレベルが違うんだ、辺境に住む「土人」は自分たちとは違うのだから、いちいち気にする必要はないのだと、一線を引く今回の機動隊員の意識と通底している。
機動隊員に対する怒りや許せないという気持ちも当然ある。でもそれ以上に、こういう残酷な若者を量産している構造に対して恐怖を感じるのだ。つまり、差別や区別をすることで人は相手に対して残酷になれる。自分と同じだけ大切な人間だと思っている相手に残酷なことはできない。逆に言えば、職務とはいえ、自分が誰かにひどい状況を押し付けているとしたら、自己嫌悪や罪の意識に苛まれてしまうだろう。であれば「人種が違う」と見下げてしまうほうが彼個人は楽になる。上官に対して「この仕事はおかしいと思います」と言うのは難しい。良心の葛藤を抱え込むのも勘弁して欲しい。それなら自己保身のためにも差別構造に乗っかってしまうほうがいい。そうやって「所詮、土人だろ」と仲間同士で言い合うことで、苦しみから解放されるのだ。これは人間の心の弱さの問題だ。
この構造が怖いのだ。まっすぐに目を見て「基地は作らないで」と訴える人々を前にまっとうな人間でいようとすると壊れてしまうから、冷淡な考え方をすることでやり過ごすのだとしたら、この基地建設のために何百人と全国から送り込まれてくる若者たちの心がどんどん歪められていくのではないか。残酷な差別主義者にならなければ到底やり過ごせないような理不尽な仕事を、正義感溢れて職務についた機動隊や海上保安庁の若者に押し付けていく政治のあり方を根底から問うべきではないのか。
これは、「沖縄は私たちとは違う土人の島だから、防波堤にしてしまってもいいんだ」という議論に行き着く。今まさに70年前を想起させるような南西諸島の軍事要塞化がすすんでいる。有事の際真っ先に攻撃されるのは沖縄の人たちだろう、とうすうす気づいていながらも、自分たちの残酷さを正当化する理屈を100探している国民がいる。お金をもらってるんでしょ? 基地はないとこまるんでしょ? 中国のスパイなんでしょ? 左翼思想で騒ぎたいだけでしょ? そんなあらゆる言い訳の一つとして「土人が!」が存在すると思う。人種差別の問題だけでは見えてこないのが、誰かを防波堤にして自分は生き残ろうとするあさましさであり、そのあさましさを隠すために差別を作り出していくという側面を考える必要があると思うのである。
「土人の島だから防波堤にしてしまえ」ではなくて、「防波堤として使いたいから、住んでるのは土人ということにしてしまえ」という理屈が呼び起こす差別があるということである。
先の大戦では 日本は辺境に住む人たちを蔑視することで、国防上、身勝手に利用し残酷な運命を強要する事ができたのだと思う。その仕組みは今も変わらない。「沖縄にひどいことをしているのでは?」と自問自答するよりヘイトに乗っかってしまうほうが楽。そんな一人ひとりの人間の弱さが恐ろしい時代を連れてくるのだろう。
【福島第1原発事故が起きた時に1号機の建屋内にいて、2013年8月に癌で亡くなった元作業員の木下聡さん(享年65)の生前の証言】
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。
1階には私と同僚の2人、4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。
だが2回目はすごかった。
床にはいつくばった。
配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。
ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。
落ちてくるなんてもんじゃない。
当たらなかったのが不思議。
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。
それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
皆で集合して、1号機から脱出した。
地震が起きてどれぐらいだったかな。
必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。
途中の様子も恐ろしかった。
タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。
沖のテトラポットがむきだしになっていた。
敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。
謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。
重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。
追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。
設計基準を大幅に超えていたはずだ。
建屋のコンクリートも相当劣化していた。
インパクトドライバーを当てると分かる。
ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。
鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。
本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。
施工はひどいものだった。
だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。
ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。
事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。
「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。
あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。
正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、
当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。
当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。
訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。
現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。
侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。
熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。
今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。
のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。
体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。
納得できない。
俺は俺で、じたばたして生きてみせる。
以上
※木下さんは原発事故の1カ月後、避難先の青森県から呼び戻され、1~4号機の電源車のケーブル敷設作業に従事させられた。
木下さんの積算被ばく線量は40年間の勤務で約96ミリシーベルト。
このうち38ミリシーベルトは事故後の復旧作業で被ばくしていた。
そして癌の発症が分かり、医師から「余命8カ月」と告げられ、
全身に転移した癌によって、2013年8月、帰らぬ人となった。
もう一度言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ! 第一次政権時に地震対策拒否、事故後もメディア恫喝で隠蔽…
2016.03.11
『京都大学工学部原子核工学科出身の吉井議員(共産党)は、2006年3月に、津波で冷却水を取水できなくなる可能性を国会で質問。第一次安倍政権が誕生 して3カ月後の2006年12月13日には「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を政府宛に 提出。「巨大な地震の発生によって、原発の機器を作動させる電源が喪失する場合の問題も大きい」として、電源喪失によって原子炉が冷却できなくなる危険性 があることを指摘した。
同年12月22日、「内閣総理大臣 安倍晋三」名での答弁書では、吉井議員の以下の質問に以下の返答をした。
(吉井):「原発からの高圧送電鉄塔が倒壊すると、原発の負荷電力ゼロになって原子炉停止(スクラムがかかる)だけでなく、停止した原発の機器冷却系を作動させるための外部電源が得られなくなるのではないか。」
(安倍):「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」』
【 特定秘密保護法、自由主義社会からの脱落への途を歩み出した日本 】
AP通信 / ワシントンポスト 11月26日
(自由・平等を保障する民主主義に、キバをむき始めた安倍政権
「日本の報道の自由に対する深刻な脅威」国外の有識者からも深刻な懸念
国民の監視の目が届かないところで、国民の目に触れることなく、自分たちが望む形にこの国を変えてしまうための環境づくり)
・・・
この法律が施行されれば、政府は原子力発電所に関する情報について、テロリストの攻撃目標になる恐れがあるとの理由で、大切な情報のほとんどを機密扱いにしてしまうことも可能である、このような批判的な意見もあります。
台湾、報道自由度で世界50位 2年連続で後退も日本より高評価 (2014/2/12)
(「国境なき記者団」(RSF)が12日発表した2014年のワールド・プレス・フリーダム・インデックス(世界の報道自由度ランキング)で、報道の自由度が最も高い上位3位はフィンランド、オランダ、ノルウェーであった。
イギリス(33位)、アメリカ合衆国(46位)、台湾(50位)、韓国(57位)、 日本(59位)、 香港(61位)、ウクライナ(127位)、北朝鮮(178位)、)
日本は韓国よりも北朝鮮に近い
(2015年2月12日)国境なき記者団の2015年2月の発表では、報道の自由度の順位で日本の順位が更に下がり、61位になり、更に北朝鮮に近づいた。
ドイツ 12位
イギリス 34位
フランス 38位
アメリカ合衆国 49位
台湾 51位
ルーマニア 52位
モンゴル 54位
クロアチア 58位
韓国 60位
日本 61位
ガイアナ 62位
レバノン 98位
北朝鮮 179位
2016年の国境無き記者団の発表では、日本の報道の自由度は72位に転落した。
ハンガリー 67位
ボスニア・ヘルツゴビナ 68位
ホンコン 69位
韓国 70位
タンザニア 71位
日本 72位
(コメント終わり)
日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)
1945年
占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。
そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される。
1945年10月4日、
マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした。
しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。
「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)
同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。
また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。
2016年10月26日
辺野古や高江で反対運動をリードしてきたヒロジさんが、逮捕後10日経っても釈放されない。
そして文子おばあまでも名護署に呼ばれ、事情聴取を受けた。沖縄の抵抗運動の象徴でもある二人に対して、今、あからさまな弾圧が始まっている。
今、高江ではヘリパッド建設予定地の山の中、実際にうなりを上げている重機の前まで行って抗議行動をしている。
米軍提供区域なのだから、逮捕される可能性は否定できない。そんなリスクのある抗議行動に転じたのにはわけがあった。
7月22日、1000人の機動隊によってゲートが開けられてからは、ヘリパッド工事の作業車の列を止めようと、人々は県道で身体や車を使って阻止行動をしてきた。しかし毎日渋滞に巻き込まれてしまう地域住民からの苦情が大きくなっていた。これ以上県民の支持を得られない方法を続けたくない。ヒロジさんたちは逮捕覚悟で山に入るようになった。G地区やH地区は40~50分の山道を行くのでかなりきついが、高齢の女性も含め、毎日数十人が建設現場を目指して山に入って行く。
17日も、そうやって工事現場に行く仲間が安全に通れるように、ヒロジさんは有刺鉄線を二本切断したという。逮捕は3回目、今回は器物損壊の現行犯。警察は防衛局員と入念に打ち合わせをし、逮捕の段取りを進めていたようだ。さらに拘留中の20日、傷害と公務執行妨害の容疑で再逮捕された。防衛局員を「揺さぶった」「つかんだ」という疑いだそうだ。テントにも、自宅にもガサ入れがあった。なにがなんでも今回はすぐには出さぬ。なにがなんでも年内にヘリパッドは完成させる。反対運動を徹底的に追い込んでやろうという政府の圧力をひしひしと感じる。
一方、連日ヒロジを返せ、と名護署にも通っている文子おばあ87歳。
反戦おばあの代表格である彼女は21日、同じ名護署に任意取調べで呼ばれていた。
告訴したのはなんと42歳の国会議員。
この話はにわかに信じがたく、怪しいので触れたくもないのだが、
和田政宗議員は5月9日、メインゲートの前で反対運動を批判する演説をしていたところ、文子おばあに暴力を受けたと主張している。
87歳の車椅子の女性が42歳現役議員らに暴力を振るったと。
しかも証拠という映像は、無断で顔を撮り続ければ怒るであろうおばあに執拗にカメラをむけたもので、叩き落されたようにカメラが落下して、そこに偶然「イテテテ」と言う撮影者の顔が映っているという、
摩訶不思議な仕上がりでネット上に散乱している。
任意ではあるが、たびたび出頭するように連絡を受けていた文子さんは、「あたしは逃げも隠れもしない。悪いことはしていない。さっさと終わりにしたい」と話していた。周囲は体調などをとても心配しながらも、それならばとみんなで堂々と送りだし、また迎えようと名護署前に大結集した。
「若い警察官と会うんだからねえ、お化粧してきたよ」とみんなを笑わせながら、拍手を背に笑顔で警察署に入っていったが、1時間もしないででてきてしまった。顔面蒼白だった。迎える大勢の仲間たちに報告することも控えて、まっすぐ帰宅をした。一体なにがあったのか?
原因は、右翼のサイレンだった。名護署前に集まる人々に罵声を浴びせ続けた右翼の宣伝カーが、戦争を思い出させる軍歌を立て続けに大音量で流し、空襲警報を思わせるサイレンを鳴らし続けた。壮絶な戦争体験を持つ文子さんは、戦争のドラマをワンシーンを見ただけで胸が苦しくなってしまうほど敏感な方だ。署内でその音を聞くうちに動悸がして、生唾が出て、弁護士がずっと背中をさすっていたがとても話をする体調ではなくなってしまったので切り上げざるをえなくなったという。
私は怒りを覚える。87歳の高齢の女性に数ヶ月にわたって出頭を迫り、話なら自宅でといっても聞き入れずに、右翼の攻撃にさらすような状況での事情聴取に追い込む警察。警察機関とは、そんなに無慈悲なものなのか。警察署以外で事情聴取したら、おばあの仲間たちに囲まれてしまいそうで怖かったのか。これが、基地のない未来を次の世代に残したい一心で、暑い日も寒い日も現場で頑張っている文子さんに対してすることなのか。日本中に、世界中に、文子さんが涙を流してトラックの前に立つ姿が届けられている。たくさんのエールが届いている。そういう女性に対するリスペクトや配慮は、警察官に期待してはいけないものなのか?
映画の追い込みで連載を休んでいる間にいろいろなことがありすぎた。でも今回はもう一つ、ついでにこちらも警察官の見識が問われている「土人発言」についても触れておきたい。
高江で抗議行動中に大阪の機動隊員から沖縄県民に発せられた「土人」「シナ人」発言。これについてはヘイトや差別の問題として捉えることもできるが、私はあえて「国防をめぐる中央と辺境の問題」という視点で書きたい。国家というのはしばしば、国境周縁部の土地と住民を軍事利用し、国防の義務を押し付ける。日本の歴史を見ても、中央は自らの利害を優先し、辺境に暮らす人々をどんなに都合よく利用し、また見下してきたか。それは今の沖縄をめぐる構造差別の問題そのものだと思う。土人発言をした機動隊員個人が、たまたま差別意識が強かったとか、無知すぎて言葉の意味がわからなかったなどという話に矮小化してはいけない。
「土人が!」という言葉の裏には「土人のくせにつべこべいうな!」という意味がある。そこには「お前らごときに国策に文句言う権利などない」と言う人を見下した意識が垣間見ることができる。では機動隊員はなぜ、彼らは上から目線なのか。日本の安全保障という大義を遂行する側にいることで自分の正当性は保証されている、と思っているのだろう。正しい高みに自分はいるのだ、と。そしてこんな風に思っているのかもしれない。
「中国が攻めてくるという国家の危機を理解せず、国防に非協力的で、自分優先でワーワー言うだけの反対派というグループは、自己中で公共心のない下等な生き物だ。沖縄にはその手が多く、問題だ」と。そんな沖縄県民に対する評価が警察内部で共有されているからこそ、あの機動隊員は悪びれずに暴言を吐いたのだ。
しかし、この偏見の歴史は深いのである。国策に協力的ではない沖縄をなんとかせねば、という中央の身勝手な発想は明治期からあった。国家のために身を投げだす立派な「防人(さきもり)」になってもらいたいのに、全くもってなってないと蔑む視線。沖縄の人々は日本人として不十分で、戦争に協力しない困った存在であるという論理の下、その後皇民化教育が徹底されていくことになる。
国防の観点から、沖縄の県民性を問題視する「調査報告」の類が何度も書かれている。明治31年、沖縄に徴兵令が実施される。しかし沖縄県民は兵役逃れで自ら身体を傷つけたり、村全体で徴兵に反対したりする有様だった。これを「改善」するため、軍部や役所などの機関は明治期から沖縄の思想、風俗の調査をし、これを問題視してきた。(明治43年「島尻郡誌」など)
大正11年12月、県出身兵教育のためにつくられた沖縄連隊区司令部のリポートでは、沖縄の県民性について偏見に満ちた評価が並べられている。 ・進取の気性が乏しく優柔不断で意志は非常に弱い ・行動が鈍く、機敏でない ・強者をくじき、弱者を助けるという男気、犠牲的精神というものが全くない ・気力がなく、節度もなく、責任感が乏しい ・向上発展の気概がない ・婦人に優雅さがないことは他に類を見ない、などと主観に過ぎないものを含め散々だ。一方、数少ない利点として、理屈を言わず安い報酬に堪え、使いやすい民である、とも書かれてある。
沖縄戦前夜、沖縄に駐留を始めた石部隊(62師団)が昭和19年に書いた会報には、恩知らずで打算的な傾向が強い、女性の貞操観念が弱いので誘惑されるな、などと書かれている。そして「デマ」が多い土地柄だから防諜上、極めて警戒を要する地域である、とか、住民は一般に遅鈍であるため事故が多いという記述がある。
これらはただの偏見で終わらなかった。この「自分たちとは違う」という一方的な評価の下で、沖縄戦当事、軍隊は県民に残虐行為を働いていく。たとえば、敵の上陸と玉砕と言う運命がわかっていながら、ギリギリまで労働力として沖縄県民を使い、彼らの安全を後回しにしたばかりか敵の上陸目前となれば、足手まといだとして集団自決に追い込んでいった。「愚鈍で責任感が薄い」沖縄県民が、軍の機密を知りすぎているとして、スパイの疑いを理由に殺害した。捕虜になって敵にぺらぺらしゃべってしまいそうな沖縄県民の口を封じることは、皇軍の崇高な目的のためには止むを得ないと正当化する。無実の沖縄県民の命を奪ってもさして胸が痛まない。その冷たさは、自分と彼らはレベルが違うんだ、辺境に住む「土人」は自分たちとは違うのだから、いちいち気にする必要はないのだと、一線を引く今回の機動隊員の意識と通底している。
機動隊員に対する怒りや許せないという気持ちも当然ある。でもそれ以上に、こういう残酷な若者を量産している構造に対して恐怖を感じるのだ。つまり、差別や区別をすることで人は相手に対して残酷になれる。自分と同じだけ大切な人間だと思っている相手に残酷なことはできない。逆に言えば、職務とはいえ、自分が誰かにひどい状況を押し付けているとしたら、自己嫌悪や罪の意識に苛まれてしまうだろう。であれば「人種が違う」と見下げてしまうほうが彼個人は楽になる。上官に対して「この仕事はおかしいと思います」と言うのは難しい。良心の葛藤を抱え込むのも勘弁して欲しい。それなら自己保身のためにも差別構造に乗っかってしまうほうがいい。そうやって「所詮、土人だろ」と仲間同士で言い合うことで、苦しみから解放されるのだ。これは人間の心の弱さの問題だ。
この構造が怖いのだ。まっすぐに目を見て「基地は作らないで」と訴える人々を前にまっとうな人間でいようとすると壊れてしまうから、冷淡な考え方をすることでやり過ごすのだとしたら、この基地建設のために何百人と全国から送り込まれてくる若者たちの心がどんどん歪められていくのではないか。残酷な差別主義者にならなければ到底やり過ごせないような理不尽な仕事を、正義感溢れて職務についた機動隊や海上保安庁の若者に押し付けていく政治のあり方を根底から問うべきではないのか。
これは、「沖縄は私たちとは違う土人の島だから、防波堤にしてしまってもいいんだ」という議論に行き着く。今まさに70年前を想起させるような南西諸島の軍事要塞化がすすんでいる。有事の際真っ先に攻撃されるのは沖縄の人たちだろう、とうすうす気づいていながらも、自分たちの残酷さを正当化する理屈を100探している国民がいる。お金をもらってるんでしょ? 基地はないとこまるんでしょ? 中国のスパイなんでしょ? 左翼思想で騒ぎたいだけでしょ? そんなあらゆる言い訳の一つとして「土人が!」が存在すると思う。人種差別の問題だけでは見えてこないのが、誰かを防波堤にして自分は生き残ろうとするあさましさであり、そのあさましさを隠すために差別を作り出していくという側面を考える必要があると思うのである。
「土人の島だから防波堤にしてしまえ」ではなくて、「防波堤として使いたいから、住んでるのは土人ということにしてしまえ」という理屈が呼び起こす差別があるということである。
先の大戦では 日本は辺境に住む人たちを蔑視することで、国防上、身勝手に利用し残酷な運命を強要する事ができたのだと思う。その仕組みは今も変わらない。「沖縄にひどいことをしているのでは?」と自問自答するよりヘイトに乗っかってしまうほうが楽。そんな一人ひとりの人間の弱さが恐ろしい時代を連れてくるのだろう。
【福島第1原発事故が起きた時に1号機の建屋内にいて、2013年8月に癌で亡くなった元作業員の木下聡さん(享年65)の生前の証言】
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。
1階には私と同僚の2人、4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。
だが2回目はすごかった。
床にはいつくばった。
配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。
ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。
落ちてくるなんてもんじゃない。
当たらなかったのが不思議。
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。
それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
皆で集合して、1号機から脱出した。
地震が起きてどれぐらいだったかな。
必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。
途中の様子も恐ろしかった。
タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。
沖のテトラポットがむきだしになっていた。
敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。
謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。
重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。
追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。
設計基準を大幅に超えていたはずだ。
建屋のコンクリートも相当劣化していた。
インパクトドライバーを当てると分かる。
ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。
鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。
本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。
施工はひどいものだった。
だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。
ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。
事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。
「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。
あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。
正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、
当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。
当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。
訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。
現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。
侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。
熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。
今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。
のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。
体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。
納得できない。
俺は俺で、じたばたして生きてみせる。
以上
※木下さんは原発事故の1カ月後、避難先の青森県から呼び戻され、1~4号機の電源車のケーブル敷設作業に従事させられた。
木下さんの積算被ばく線量は40年間の勤務で約96ミリシーベルト。
このうち38ミリシーベルトは事故後の復旧作業で被ばくしていた。
そして癌の発症が分かり、医師から「余命8カ月」と告げられ、
全身に転移した癌によって、2013年8月、帰らぬ人となった。
もう一度言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ! 第一次政権時に地震対策拒否、事故後もメディア恫喝で隠蔽…
2016.03.11
『京都大学工学部原子核工学科出身の吉井議員(共産党)は、2006年3月に、津波で冷却水を取水できなくなる可能性を国会で質問。第一次安倍政権が誕生 して3カ月後の2006年12月13日には「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を政府宛に 提出。「巨大な地震の発生によって、原発の機器を作動させる電源が喪失する場合の問題も大きい」として、電源喪失によって原子炉が冷却できなくなる危険性 があることを指摘した。
同年12月22日、「内閣総理大臣 安倍晋三」名での答弁書では、吉井議員の以下の質問に以下の返答をした。
(吉井):「原発からの高圧送電鉄塔が倒壊すると、原発の負荷電力ゼロになって原子炉停止(スクラムがかかる)だけでなく、停止した原発の機器冷却系を作動させるための外部電源が得られなくなるのではないか。」
(安倍):「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」』
【 特定秘密保護法、自由主義社会からの脱落への途を歩み出した日本 】
AP通信 / ワシントンポスト 11月26日
(自由・平等を保障する民主主義に、キバをむき始めた安倍政権
「日本の報道の自由に対する深刻な脅威」国外の有識者からも深刻な懸念
国民の監視の目が届かないところで、国民の目に触れることなく、自分たちが望む形にこの国を変えてしまうための環境づくり)
・・・
この法律が施行されれば、政府は原子力発電所に関する情報について、テロリストの攻撃目標になる恐れがあるとの理由で、大切な情報のほとんどを機密扱いにしてしまうことも可能である、このような批判的な意見もあります。
台湾、報道自由度で世界50位 2年連続で後退も日本より高評価 (2014/2/12)
(「国境なき記者団」(RSF)が12日発表した2014年のワールド・プレス・フリーダム・インデックス(世界の報道自由度ランキング)で、報道の自由度が最も高い上位3位はフィンランド、オランダ、ノルウェーであった。
イギリス(33位)、アメリカ合衆国(46位)、台湾(50位)、韓国(57位)、 日本(59位)、 香港(61位)、ウクライナ(127位)、北朝鮮(178位)、)
日本は韓国よりも北朝鮮に近い
(2015年2月12日)国境なき記者団の2015年2月の発表では、報道の自由度の順位で日本の順位が更に下がり、61位になり、更に北朝鮮に近づいた。
ドイツ 12位
イギリス 34位
フランス 38位
アメリカ合衆国 49位
台湾 51位
ルーマニア 52位
モンゴル 54位
クロアチア 58位
韓国 60位
日本 61位
ガイアナ 62位
レバノン 98位
北朝鮮 179位
2016年の国境無き記者団の発表では、日本の報道の自由度は72位に転落した。
ハンガリー 67位
ボスニア・ヘルツゴビナ 68位
ホンコン 69位
韓国 70位
タンザニア 71位
日本 72位
(コメント終わり)
日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)
1945年
占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。
そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される。
1945年10月4日、
マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした。
しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。
「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)
同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。
また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。
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