アメリカにおける児童ポルノも含めた猥褻物表現規制の歴史について
(当ブログのコメント:アメリカの児童ポルノ問題を種にして、民主主義とは如何なるものかを、アメリカを民主主義のモデルとして考えていきたい。そのため、以下の記事を参考にコピーした。)
児童ポルノ禁止法改定案に漫画などが含まれることについて覚書でも書いておこうかと思う。
そのためには、まずアメリカ合衆国における事情を考えたい。というのも、アメリカは"表現の自由市場"という言葉が存在しているように、世界で最も表現に関しては自由のある国だからだ。(そしてその理由は4つほど上げられるのだが本題には関係ないのでここでは置いておく)
まずアメリカにおいて表現の自由の根拠となるのは合衆国憲法の修正第一条であり、その内容は在日アメリカ大使館からそのままコピペすると
合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。
こんな具合になっている。
(当ブログのコメント:第二次大戦の終了以前の日本でこのような憲法を定めたら、日本政府が全く国内治安を維持できなくなるのではないかと危惧されたと思う。
しかし、このアメリカ憲法では「平穏に」集会し、と記載し、
「平穏」を強調している。
この点が戦前の日本政府と違う。戦前日本政府は、政府に対して苦情を言うことが「平穏」を維持することよりも問題であると考えていたように思う。
そのため、戦前の(また戦後に至っても)日本では「平穏に」治安を維持することができなかったのではないかという仮説を立てて、今後の検証を試みてみる。)
まあ表現の自由も無制限の自由じゃなくて、ポルノ(本当はObscenityで意味合いが違うんだけど、ここでは全部ポルノで統一)関係や反社会的言動は規制されるってのが通説で、この覚書では前者にのみ焦点をしぼる。
まず、アメリカにおいてポルノの定義が問題になったのは1868念のRegina v. Hicklinなんだが、当時のイギリス裁判所が採用していた基準に
Whether the tendency of the matter charged as obscenity is to deprave and corrupt those whose minds are open to such immoral imfluences and into whose hands a publication of this sort might fall.
てのがある。通称Hicklin test。で、この判示には三つのポイントがある。
1.ガキに見せたときにアウトかどうか
2.ポルノであるかどうかは一部だけでも判断できる
3.当該作品の社会的価値とかは完全無視して、とにかく該当箇所の効果だけを見る
まあこれだけ見たら分かるようにめちゃくちゃ(政府にとって)緩い。つまりいくらでも言論弾圧できる。
で、アメリカの最高裁は1878年のEx Parte Jacksonで、堕胎だとかの情報も含めたポルノなブツをアメリカの郵便システムを使って送ることを刑事罰化したComstock法案を合憲と判断してよりいっそう規制を強くした訳だ。
まあこんだけ政府にとってゆるゆるなことやってたら下級審もなんか苛々して、もっとリベラルになろうぜ!っていうことで色々と新しい判断が1900年代になって出てきた。その中で一番引用されてるのがUnited States v. One Book Called Ulysses(1933)における判例。ここでは、
著者がポルノを書こうと思ってたらそれはポルノだという異常に分かりやすい判示をAugustus Handって人がした。
ぶっちゃけ身もフタもない話をすると、1950年代のアメリカってポルノ産業が最盛期を迎えていて、ぎゃーぎゃー騒いで規制しようとしていた保守系の奴らと弁護士グループの戦いの結果こういうことが起きたのであって、そういう意味では今の日本と似ているかもしれない。
閑話休題
Butler v. Michigan(1957)で最高裁はポルノ作品を規制するミシガン州法を廃止させて、さっきのHicklin testを実質的にひっくり返して、Roth v. United States(1957)で新しい基準を出した。それが、
the material must be calculated to debauch the minds and morals of those into whose hands it may fall and...the test in each case is the effect of the book, picture, or publication considered as a whole, not upon any particular class, but upon all those whom it is likely to reach. In other words, you determine its impact upon the average person in the community.というクソみたいに長いの。
これのポイントも3つあって、
1.普通の人間からしてどうか
2.当時の社会情勢からしたらどうか(後に社会とは国家全体としてと補足される)
3.当該作品(もしくはブツ)が全体としてポルノかどうか
今度は大分書く方にとっては緩くなった。これをRoth Testと言って、この基準はJacovellis v. Ohio(1964)やMemoirs v. Massachusetts(1966)などの判決を通して確認・洗練されていくことになる。二番の要件は地域じゃなくて、国としての社会から見たらどうかになったし、作品の重要性についてもそんな要求しなくもなった。
ただ、ここからがアメリカ連邦最高裁の面白いところで、裁判官が大統領によって任命されるもんだから、大統領が保守派になると、保守的な判決を下す裁判所になる。で、当時の大統領はニクソンで、そのときの最高裁に怒り心頭。裁判長を保守派のBurgerにやらせて色々判断も変えさせた。具体的には、1と3はそのままに、2とさっきの作品の重要性基準が変更されて、
2'.当時の社会情勢の判断基準は州だ
重要性:文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的価値を欠くものはアウト
こんなことにした。これが1973年のMiller v. Californiaで判示されたことから、Miller testと呼ばれることになる。
児童ポルノについて
こっから本題。
1982年のNew York v. Ferberが児童ポルノにおいて先駆け的な判決になる。リベラルな判事も保守派の判事も、全会一致で児童ポルノの映像に関する政府の規制をよしとした。
そして、インターネット関係について言えば、2002年のAshcroft v. Free Speech Coaltionがすごい興味深い判例を残していて、子供の役を大人がするポルノは規制されえないとしている!という訳で違憲判決を下された。
いや、もちろん他にもまともな理由、例えばもっと緩い方法で規制できるだろとかいうのもあるんですけどね。
でも、次の裁判の判決が非実在児童を規制してもいいとする判示をくだしている。
United States v. Williams(2008)より
The statute's (先の違憲判決を受けて作り直したPROTECT Act of 2003のこと 筆者注)definition of the material or purported material that may not be pandered or solicited precisely tracks the material held constitutionally proscrible in Ferber and Miller: obscencematerial depicting (actual or virtual) children engaged in sexually explicit conduct, and any other material depecting actual children engaged in sexually explicit conduct.こうしてみるとアメリカって面白い国だ。
もしこの辺の話に詳しい人がいたらじゃんじゃん指摘してください。お願いします。(見ている人がいれば)
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