対象犯罪 矛盾そのまま 「共謀罪」与党審査検証
2017年3月18日 東京新聞朝刊
政府は昨年末、与党に「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案の概要を示した。
対象犯罪は六百七十六で、過去の法案の六百十五より増えていた。
「世論は(同法案の必要性の議論に)追い付いていない」。
周囲にそう話していた公明党幹部は処罰範囲が広すぎると判断。
外務、法務両省の担当者に「安倍晋三首相は二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックのためにテロ対策が必要だと言った。
テロ関連の罪だけでいい」と強く指示した。
政府担当者が「国際組織犯罪防止条約を批准するために懲役・禁錮四年以上の罪を一律に対象にした。
ただ、処罰対象を『団体』から『組織的犯罪集団』にするなど厳格化したから問題ない」と説明しても、公明党幹部は譲らなかった。
政府が二月末、正式に与党に示した法案の犯罪数は二百七十七。
大幅削減したことで、過去の政府説明との矛盾が生じた。
二月二十八日から審査を始めた自民党法務部会では「条約解釈上、びた一文まけられないと言っていたはずだ」
「ウソをついたのか? 無知だったのか?」と批判が相次いだ。
外務省は「以前は条約批准ができないリスクを避けた」と同省の判断で六百超にしたと説明した上で謝罪した。
自民党総務会でも、「バナナのたたき売りのようだ。場合によっては百にもなるのか。これで国民を説得できるのか」と怒号が飛んだ。
政府は「犯罪の内容に応じて選別することは、条約上できない」とした〇五年の答弁書は「変更しない」としている。
対象犯罪削減との矛盾は解消されていない。
国会審議に持ち越された疑問はまだある。
自民党法務部会では、過去に大学サークルが集団で女性を乱暴した事件に触れ
「警察はサークルをことごとくチェックするのか」との質問が出た。
法務省の出席者が「サークルは実行に向けての指揮命令系統がないので該当しない」と答えても、
ある議員は納得できず「体育会系なら指揮命令系統はある」と指摘した。
事前審査で、法務省は「暴力団による資金集めや勢力拡大を目的にした犯罪は同法案の処罰の対象だ」などと暴力団を例にした説明を多用。
処罰対象の中心を、国際的なテロリストに置いていない実態がにじんだ。
「君たちは正直すぎる」。自民党議員からため息がもれた。
第5の思想弾圧事件(滝川事件)
1933年:滝川事件
1933年3月になり共産党員およびその同調者とされた
裁判官・裁判所職員が検挙される
「司法官赤化事件」
が起こった。
この事件をきっかけに、5月26日、文部省は文官分限令により
京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授の休職処分を強行した。
滝川の休職処分と同時に、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示した。
1934年に、
(1)文部省の学生部(1928年に設置した学生課)を
「思想局」
へ昇格させた。
(2) 国民精神文化研究所が、文部省の直轄する研究所として発足した。
これらが教学思想を確立するための活動を開始させることとなった。
1936年に設置された「日本諸学振興委員会」が,学問領域の全般にわたって「日本学」の方向を打ち出した。
あらたな取締対象を開拓
1937年6月の思想実務者会同で、東京地裁検事局の栗谷四郎が、検挙すべき対象がほとんど払底するという状況になっている状況を指摘し、特高警察と思想検察の存在意義が希薄化させるおそれが生じている事に危機感を表明した。
(1935年から1936年にかけて、予算減・人員減があった)
そのため、あらたな取締対象の開拓がめざされていった。
治安維持法は適用対象を拡大し、宗教団体、学術研究会(唯物論研究会)、芸術団体なども摘発されていきます。
1937年3月には思想局(1928年の学生課)から『国体の本義』7)が発行されて、教学刷新の基準が明確にされた。
1937(昭和12)年7月には,すでに,教学刷新の中心機関である
思想局
(1928年の学生課)が、文部省外局
の
「教学局」
に昇格され,学問研究に対する統制の中枢をなした。
(当ブログのコメント: この
教学局は、
1937年に開始された、「国民精神総動員」運動の名のもとに先の教化総動員を再編成した大規模な
日本精神発揚の教化運動
を推進する中心であり、教化運動を計画する本部です。安倍内閣を支配している「日本会議」は、この、「
大規模な
日本精神発揚の教化運動
」を理想としていると推察します。)
1940年1月
「生活図画事件」
(生活綴方教育が「子どもに資本主義社会の矛盾を自覚させ、共産主義につながる」として、教員らが一斉検挙される事件が起きる。逮捕されたのは、五十六人ともいわれる。)
大熊信行が,1943年7月から11月まで「婦人公論」に連載していた『新家政学』は,軍の干渉により執筆禁止となった。
その理由は,内容に天皇中心思想を欠くというものであった。
これは明らかに,
科学に代る精神主義が再び重視されてきた
ことを意味している。
・・・
このように,戦時下の生活科学構想はそれ自体戦争協力の学でありながら,しかも権力と精神主義の攻撃の前に崩れていったのである。
(もっと読む)
(注意)安倍政権を支配する「日本会議」が目指す戦前の国民的な心理,意識,生活を支配し,規制していたものは,国体論と精神主義を柱とする天皇制イデオロギーであり,それは
あらゆる非科学性の根源であった。
1945年に、
22歳の司馬遼太郎が栃木県佐野市で陸軍少尉として終戦を迎えた。
その時に、大本営からきた東北人の少佐参謀が、
アメリカ軍(連合国軍)が東京に攻撃に来た場合に、栃木から東京に移動して攻撃を行うという作戦を命令した。
その命令の遂行方法に関して、ある若い将校が、
「市民と兵士が混乱します。そういった場合どうすればいいのでしょうか。」
と参謀に聞いたところ、
参謀は
「轢き殺してゆく」
と言った。
司馬遼太郎は、その参謀の返事を聞いて、
「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?
いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」
との疑問を持った。
司馬遼太郎は、その疑問に対する答えとして、
「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として、
「過去の22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた。」
と述懐している。
『敗北を抱きしめて』(岩波書店)歴史家ジョン・ダワー著
1945年4月から6月まで続いた沖縄戦では、1万人以上のアメリカ人が死んだ。11万人以上の日本軍が壊滅した。沖縄住民の約3分の1、おそらく15万人におよぶ男女と子供が殺された。
日本の降伏により、日本軍の実態が明らかになった。日本軍の集団としてのまとまりや規律は、軍部がくりかえし宣伝した「忠」とか「和」とかいった理念の上にではなく、実は上からの抑圧を強制していく権威主義的な仕組みの上に築かれていた。上官は、尊敬よりも恐怖によって命令を徹底させていた。そのため、敗戦になると、それまで抑圧されていた深い復讐願望が一挙に解放されることになった。
極端な場合には、そうした敵意から、元上官を殺害した者もいた。
降伏後、こうした感情は、はじめて公然と表現された。ある復員軍人は、自軍の指揮官たちの暴虐によって殺された戦友たちの霊を、どう慰めたらいいのかと問いかけていた。昔の言葉に、敵を「冥土の土産にする」というのがある。これは自分が死ぬときは敵を道連れにするという意味であったが、自分の戦友たちは、いざ玉砕のおりには敵ではなくて上官の1人を冥土の土産に連れていくつもりであったと述べている。
日本の降伏の前には考えられなかったこうした実態暴露は、「1億1心」なる戦争中の宣伝が、たわ言にすぎなかったことを白日の下にさらした。
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この日本軍の体質は、太平洋戦争中は日本の支配下にあった韓国の軍隊にも遺伝しているのではないか、と推察します。
(1)韓国軍での乱射事件捜査結果を発表(韓国軍内のいじめが原因)(2014年7月15日)
(2)2014年7月31日、韓国海軍の「要注意(関心)兵士」が、所属していた軍艦内で首をつって自殺していたことが分かった (2014年8月1日)
(このところ韓国では、6月にGOP(一般前哨)銃乱射、7月27日には陸軍兵士2人が自殺と、同様の事件が相次いでいる。)
(3)韓国軍の兵士集団暴行死で引責:韓国陸軍参謀総長が辞意(2014年8月5日)
(4)韓国で軍人による犯罪は昨年7530件 過去5年で最多(2014年8月7日)
(5)韓国軍兵士の4割がうつ病、日常的ないじめなどが原因(2014年8月18日)
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1945年
占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。
そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される。
1945年10月4日、
マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした。
しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。
「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)
同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。
もう一度言う、福島原発事故の主犯は安倍晋三だ! 第一次政権時に地震対策拒否、事故後もメディア恫喝で隠蔽…
2016.03.11
『京都大学工学部原子核工学科出身の吉井議員(共産党)は、2006年3月に、津波で冷却水を取水できなくなる可能性を国会で質問。第一次安倍政権が誕生
して3カ月後の2006年12月13日には「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を政府宛に
提出。「巨大な地震の発生によって、原発の機器を作動させる電源が喪失する場合の問題も大きい」として、電源喪失によって原子炉が冷却できなくなる危険性
があることを指摘した。
同年12月22日、「内閣総理大臣 安倍晋三」名での答弁書では、吉井議員の以下の質問に以下の返答をした。
(吉井):「原発からの高圧送電鉄塔が倒壊すると、原発の負荷電力ゼロになって原子炉停止(スクラムがかかる)だけでなく、停止した原発の機器冷却系を作動させるための外部電源が得られなくなるのではないか。」
(安倍):「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」』
【 特定秘密保護法、自由主義社会からの脱落への途を歩み出した日本 】
AP通信 / ワシントンポスト 11月26日
(自由・平等を保障する民主主義に、キバをむき始めた安倍政権
「日本の報道の自由に対する深刻な脅威」国外の有識者からも深刻な懸念
国民の監視の目が届かないところで、国民の目に触れることなく、自分たちが望む形にこの国を変えてしまうための環境づくり)
また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。
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