2013年4月28日日曜日

表現規制とヴァーチャリティ

参考のため、以下の論文の一部を引用させていただきました。

論文(査読論文)

表現規制とヴァーチャリティ
-「描かれた児童虐待」をめぐる法と倫理 -
Legal Regulation and Morality about Virtual Image of Child Abuse
原田伸一朗
Shinichiro HARATA *
2012-03-31
http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/6476

論文概要:

近年、国内で児童ポルノ法や東京都青少年健全育成条例の改正問題が取り沙汰されており、CGや絵による「児童を性的虐待の対象として描写するような表現」を法的規制の対象とする動きが強まっている。
児童虐待は犯罪・違法であるが、それを描くことも犯罪・違法になるのか。
ヴァーチャルな犯罪に「法」はいかに対峙するか、また、どのような「倫理」がそこに生じ得るか、マンガ規制論争を素材にその理論的枠組みを探る。
1では、問題の背景と研究の対象、
2では、研究視角として、メディア論および法学という2つの方法論、そして「ヴァーチャリティ」というキー概念を提示する。
3では、児童ポルノ法および東京都青少年条例という2つの法規制の概要と、その改正論議について述べ、検討を加える。
4では、3の検討を踏まえ、法と倫理の両面から、「描かれた児童虐待」を規制する論理を考察する。
本稿は、最終的にそれらを規制すべきか否かに関して結論を出すことを直接の目的とするものではないが、
5では、問題を捉える枠組みにつき得られた知見を、今後検証すべき課題とともに提示する。

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5.結論および展望
(1)法のヴァーチャル化
 すでに見てきたのは、分け切れないものを分けようとする〈法〉の失敗である。
規制/非規制という近代的な思考法を採らざるを得ない〈法〉は、ヴァーチャリティという現実への対 応力を失っており、法的二分法思考(dichotomy)自体が危機に立たされていると言ってもよい。
 現在、〈法〉のあり方が変化していく、ひいては〈法〉が消滅していく分水嶺にあるのではないかと本稿は見ている。
 Lawrence Lessig24 によれば、規制には、「法」による規制だけでなく、「規範」「市場」「アーキテクチャ」による規制があり、特にサイバースペースにおいては、アーキテクチャ(コード)による規制が、実質的に人々の自由を制約している。すなわち、法ではなく、テクノロジーによって、事実上・物理的に、我々はしばしば気づかないうちに規制されている(フィルタリング等)。こうした権力のヴァーチャル化現象を目の当たりにすると、マンガ規制において、今さら法が表舞台に登場してきたこと自体が時代錯誤にも思える。
 また、近年法学の領域で研究が進められている「ソフトロー」という概念25 も、二分法的なrigid な〈法〉とは異なる多様な“法” 形態の発見という点では、本稿の関心と同期する面もあると思われる。法自体のヴァーチャル化現象も、今後の研究課題としたい。

(2)「描かれた児童虐待」のコロラリー
 「児童虐待」と「描かれた児童虐待」の牽連性こそが、〈法〉規制の焦点であるとすれば、そのコロラリーとして、およそ「犯罪・非行」と「描かれた犯罪・非行」に、峻別可能な境界線を引くことができるのかも問われることになろう。犯罪は違法であるが、描かれた犯罪は違法なのか。描かれた犯罪が、純粋なフィクションである場合、当然リアルなソースを持たない。したがって過去を問うことはできないが、未来の犯罪を惹起する潜在的可能性(ヴァーチャリティ)があるとすれば、それを〈法〉は捕捉しようと試みることになる。
 近年、テレビアニメ番組において、自主規制という形ではあるが、未成年者の飲酒・喫煙、暴走・交通違反行為、暴力・いじめ、銃使用、賭博、器物損壊、動物虐待(擬人化・アイコン化した動物含む)、児童の過酷な労働等の描写が避けられるようになってきている。その中でも、児童虐待と並んで(先んじて?)、社会的に大きな問題となりつつあるのが、動物虐待である26。純粋に記号として見れば、近代法における「児童」と「動物」の位置づけは類縁関係にあり、デモクラシー構造においては同位にあるとさえ言うことができる。すなわち、動物虐待は、デモクラシーの構造基盤を掘り崩す行為である。捕鯨、神事・祭事での動物使用、ペット遺棄等は、「動物愛護」(この思想的源流も改めて辿る必要がある)の観点から問題視されつつあるが、ヴァーチャルな動物虐待の違法化も、近い将来、喫緊の課題となるものと思われる。

(3)オタクの行動論
 前述のように、マンガ規制の立法事実を検証する際、コンスタティヴなメディア分析よりも、オタクのパフォーマティヴな行動分析に、論点の比重が移行しつつある。本稿の関心においても、オタクの行動的特性を解明する作業は非常に重要となる。
 これまで、オタクは社会的コミュニケーションが不全で、インドア派・根暗などという先入観があったが、近年は、新しいインターネット上のコミュニケーションツールを活用しつつ、町に出てアクティブに趣味的行動を展開する傾向が見られる(そうであるからこそ、一般社会との間で時に摩擦が生じることもある)。例えば、従来からおこなわれている同人誌即売会、コスプレ、声優ライブなどのほか、最近は、痛車、聖地巡礼、動画撮影・投稿などといった新しい趣味も盛んになっており、マンガやアニメといったコンテンツは、そうしたイベントに参加するきっかけ・素材に過ぎなくなっているとも言われている。
 本稿の観点からすれば、現実の中に、アニメに登場する人物・場所・物品の「対応物」を見いだそうとする発想に何らかの危険性はないのかとあえて問うことになる27。それとも、その牽連性をぎりぎりの所で見事に切断するのがオタクの倫理性の発揮と言うべきかは、今後慎重に見極めていく必要がある。

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