2014年8月16日土曜日

Copy:秩父宮-昭和天皇弟宮の生涯

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秩父宮―昭和天皇弟宮の生涯 (中公文庫)
(2000/10)
保阪 正康


秩父宮殿下・・・・
 

昭和天皇の弟宮・・・・
お名前は存じ上げていたが、どういう方だったのか全く知らない。
昭和28年1月4日に肺結核のため50歳でお亡くなりになられているので、そのお姿も存じ上げていない・・・・

秩父宮・・・で、有名なのが2・26事件である。
歩兵第3連隊におられた時の部下に2・26事件の首謀者の一人である安藤輝三がおり、この部下を特に可愛がっていたためか・・・・
2・26事件の「黒幕」説が巷をにぎわしたこともある。
で・・・秩父宮といえば2・26事件・・・と言われてしまうほどなのだが、本書では綿密な取材により、この通説を完全に否定している。
なるほどね・・・そういうことか・・・である。

日米開戦直前の昭和15年まで殿下は参謀本部の戦争指導班におられた。
で・・・何をしていたかと言うと・・・
日中戦争不拡大方針を出し、なんとか早期解決を図っていたのである。
しかし、時代の流れが変わって行き・・・・
日中戦争早期解決どころではなく、その反対へと軍中央部が傾いて行く・・・・
ちょうどそのころ肺結核を発症し、ついに療養生活を強いられる。
戦争指導班の方針は一転・・・・好戦一色となる。
なんとも残念・・・・
殿下がお病気にならなかったら・・・・と・・・・ついついそう思ってしまう。
太平洋戦争中もずっと療養生活・・・
この良識派の殿下が天皇の補佐をできなかったというのは日本の不幸かもしれない。
病床から東條英機とやりあったりもしたのだが・・・・
やはり御病気の身では限界がある。
なんとも残念である。

本書の大半は殿下の御病気の容態について割かれている。
その時代、その時代に殿下の容態はどうだったのか・・・
その様な中で殿下はどう弟宮としての責務を果たそうとしていたか・・・
御病気のため思う存分弟宮として活躍できない姿を知ると本当に残念でならない。

殿下はお亡くなりになる前に「遺書」を残している。
遺書には「解剖に附してもらい度い」として・・・いくつかの条件も記されていたという。
標本としては残さないこと、結果は公表しないこと、研究上に引用はしてもいいこと・・・・
天皇の弟宮を解剖するなど恐れ多いことであったろうが・・・・
当時結核患者が解剖を希望するという例は少なかったため、この申し出は非常に貴重なものだったろう。
遺書の中でいくつかの条件を出しているのは宮内庁や宮廷内での摩擦を避けるための配慮からだったらしいとされている。
解剖結果は現在に至るも殿下の遺志を尊重して公表はされていないが、研究論文の中には殿下の名を伏して取り上げられているという。
こうした論文では結核治療の参考になる点がいくつも認められたという。

殿下は御病気のため国のために思う存分貢献できなかった・・・・そう考えていたのではないだろうか?
ならば・・・死んだ後、自分の体を解剖させることで国民の役に立とう・・・と
そう考えたのではあるまいか?

秩父宮殿下・・・
人間として魅力がある・・・・
本書を読んで痛感した。
できればもっと長生きしていただきたかったなぁ~

私もまもなく49歳・・・・
殿下の亡くなった50歳に近づくが・・・・
人間的魅力は全然足元にも及ばない・・・・・
情けないことである。

第1章 第二皇子の幼少時代
誕生前後の明治宮廷
皇孫御殿での三兄弟
おじじ様のお隠れ
母君から届いた信書
第2章 大元帥の補佐役として
天皇家の陸軍幼年学校生徒
陸士34期の友人たち
皇位継承者としての自覚
心を許した2人の後輩将校
歩3の軍務と皇室行事
第3章 英国生活での開眼
マッターホルンへの挑戦
「貴様はなぜ陸士をやめたのか」
昭和天皇の時代の幕開け
スポーツの宮様と陸軍キャンペーン
第4章 昭和維新時代の弟宮
51番目の陸大生
標的にされた直宮将校
天皇と陸軍のはざまで
兄宮と初めての相克
第5章 「兄と弟」の2・26事件
弘前第31連隊への赴任
大隊長の過密な日程表
2・26事件当日
上京時の隠された真相
駆け引きの崩壊
天皇の断固たる決意
第6章 確かめられた天皇家の絆
後輩将校に託した伝言
結束する皇族たち
変貌していく大隊長
「秩父宮万歳」を叫んだ将校
第7章 戦争へと傾斜するなかで
再度の英国訪問
日中戦争不拡大論者

 P424「秩父宮が、日中戦争が始まったのを知ったのは、スイス
    療養中のときである。・・・参謀本部の中佐山口貞男が、 
    ホテルに秩父宮をたずね、事変のあらましを伝えたとき、
    秩父宮は、「困ったことをしてくれた」といったと、
    山口は書きのこしている。」
元老西園寺公望の不安
「君らの考えは黒い雲だよ」
前線参謀として
第8章 療養の日々と終戦工作
無念の肺結核診断
親英派を欠く戦争指導班
太平洋戦争下での孤独
東條英機との対決
戦争終結への兄弟の誓い
第9章 開かれた皇室の先駆者
5年ぶりの参内
「身分がご損だった」
新天皇家のスポークスマン
貞明皇太后の急死
第10章 委ねられた松明(たいまつ)
鵠沼別邸での多彩な語らい
明仁皇太子への期待
一人の人間としての死

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