2016年9月22日木曜日

治安維持法検挙者の記録

治安維持法検挙者の記録

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 本書は、治安維持法の体験者その関係者が自らのあるいはその親の苦難の体験を追跡するための手がかりを提供するに止まらず、
治安維持法を中心とする戦前、戦時期の治安体制の研究者、さらに、戦前期の学問、文化、宗教や平和運動に対する弾圧事件の研究者、戦前・戦時期社会運動の研究者にも大きな武器を提供するものである。

 本書がもつ大きな意義は、2つにまとめられる。

1つは、本書の記録を通して、治安維持法による極めて独特な、市民の自由に対する周到な抑圧の体系を知ることができるという点である。

 第1次世界大戦後、ロシア革命と、各国における共産主義運動の台頭、昂揚に危機感を抱いたアメリカをはじめとする先進資本主義諸国で、あいついで共産主義運動取り締まり立法が制定され、社会運動への弾圧が始まったが、治安維持法もそうした世界史的な流れの一翼として制定されたものであった。

 ところが、この治安維持法は、他国のそれと比較しても極めて独特の展開をみ、日本の社会運動に壊滅的打撃を与えただけでなく、
1935年の日本共産党指導部の壊滅後も
今度は非共産党系の運動、
自由主義的運動
さらには天皇とは異なる神を信奉する新興宗教団体
などに発動され、
国民の思想を萎縮させ、
日本の戦時体制に国民を動員していく大きな梃子となったのである。

 本書では、各人の項目を見ただけでも、治安維持法により取り締まられた側から、この法の運用を知る手がかりを読み取ることができ、治安維持法のこうした独特の取り締まりの仕組みが浮かび上がってくる。

1つは、「目遂」とある、治安維持法の「目的遂行罪」の威力である。この点は西田氏も「検挙から判決まで」「治安維持法の適用」において、詳しく解説しているので、是非その箇所にあたられたい。

 目的遂行罪とは、治安維持法の1928年改正で第1条に登場した条項であった。
25年法は、天皇制国家に刃を向ける共産党など政党を軸とした新しい革命運動を一網打尽にするため、
共産党など「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシ」た結社のメンバーをただ組織のメンバーであると言うだけで検挙し重罰を科す法律として制定された。
同法は、さっそく、28年3月15日に日本共産党に向けて発動されたが、
当局の案に相違して、共産党員は、少数にとどまった。
そこで、党員に止まらず
共産党の周りにいる広範なシンパ層を、この法で広く網をかけて取り締まるために編み出されたのが、
この目的遂行罪であった。
この規定により、党員でなくとも
党の「目的遂行ノ為ニスル行為」をなしたと認定されれば、捕まえ2年以上の懲役で問擬することができるようになった。
この条項が法の取り締まり対象を一気に拡大したのである。
文学運動、
演劇から、
資金のカンパに至るまで、
「目遂」は拡大に次ぐ拡大で、
広範なシンパ層
さらには運動に同情する多くの著名な知識人や文化人に向けられ、
市民たちの行動を大いに萎縮させた。
これが治安維持法を悪名高からしめたのである。

 さらに、当局は、党の周りに蝟集すると判断した労働組合や文化団体そのものを、目的遂行団体=「外郭団体」とみなし、
この団体に加入しただけで、「目遂」にあたるとして法を発動し、
さらに「外郭団体」のメンバーでなくともそれを支援する行為を、党の「目遂」にあたるとして取り締まった。
かくして、治安維持法は、同心円状に拡大して
共産党をはるかに超えた広がりをもって
政府に批判的な活動、人士を広く抑圧したのである。
西田氏の作成した略語表(「略記一覧」)には、こうした党の外郭と見なされた団体がずらりと並んでいる。
治安維持法違反に問われた多くの人物は、こうした「目遂」の網で弾圧されているのである。

 もう一つ、治安維持法が、諸外国の法に比べてはるかに猛威をふるう武器となったのが、取り締まり対象となった人々の思想を「転向」させる仕組みを開発したことである。

 欧米諸国の社会運動でも、ナチスの弾圧下で見られたように、決して転向は日本だけの現象ではなかったが、日本では、昭和初年からアジア・太平洋戦争に至る10数年の間に異常とも言える多数の市民の転向が起こり、その数の多さは欧米諸国とは比較にならなかった。この転向は、日本を侵略戦争にもっていくうえで、これまた大きな役割を果たした。思想の科学研究会が、『転向』全3巻、(平凡社)をもって、転向を日本社会の特質をなすものと見て共同研究の対象としたのは、それが戦前期日本の独特の思想現象だったからである。

 この転向政策は当初、共産党員を何度検挙してもまた刑を終われば運動に舞い戻るという悪循環をいかに断ち切るかという工夫から始まった。
いくら重罰で威嚇しても思想を放棄させねばいつまでたっても繰り返す。
そこで当局は、治安維持法の運用において、共産主義思想の転向を促す手口を開発したのである。

 まず転向政策は、思想転向するまでの長期の拘禁という形で行われた。
西田氏の解説でも触れられているように、本書で注目されるのは、多くの被疑者、被告人の長期に渡る拘留の実態である。
検挙された被疑者に対して、当初は関係する人間の名前を自白させるために猛烈な拷問が行われるが、
その後長期に放っておかれ、その間特高、思想検事により、思想転向が勧められるのである。
転向しなければいつまででも拘禁が続けられる、思想転向の有無で量刑が左右される。
治安維持法の極めて、「弾力的な」刑期は思想転向の有無という、その一点で決められたのである。

 当局は、この転向政策を先の「目的遂行罪」による広範な人々への法の発動とセットで運用することにより、
多くの知識人、学生の「転向」思想統制を遂行した。
当局は、共産主義思想に関心を持ったり、研究会、読書会や文化運動に参加する学生や知識人を片端から検挙し、
重罰で脅して思想転向を迫る。
思想転向すれば、起訴を留保する、「留保処分」という日本独特の運用が開発された。
転向を確保するため、あえて起訴猶予にせず「留保」にして社会にでても監視の下に置き、転向を持続させる。
1936年には思想犯保護観察法で、こうした運用が正式の制度となった。

日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)

1945年
 占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される

1945年10月4日、
 マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
 すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした

 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。

「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
http://sightfree.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)

同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。

また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。 


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