2011年10月9日日曜日

初公判後の小沢一郎の記者会見表明文

本日の法廷で裁判長の許可を頂いて意見を申し述べましたので、
・・・
ここで改めて私の意見の陳述をもう一度繰り返させていただきます。

裁判長のお許しをいただき、
ただいまの指定弁護士による起訴状に対し、
私の見解を申し上げます。
 

指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした
検察審査会の誤った判断に基づくものに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきであると考えます。

百歩譲って裁判を続けるにしても

私が罪に問われる理由はまったくありません。

本件では政治資金収支報告書に間違った記載をした事実はなく、
したがって、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たる事実がありません。


ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてありません。

また本件の捜査段階における検察の対応は、
主権者である国民から何の付託も受けていない一捜査機関が、
特定の意図により国家権力を濫用し、議会制民主政治を踏みにじったという意味において、
日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。

以下、その理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、

自分で発見したものであれ、マスメディアや、あるいは他党の人など、第三者から指摘されたものであれ、
その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に
自主申告して収支報告書を修正するということが大前提であります。

贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、
検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査するということになりますと、
議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性がでてまいります。
そして、それは、ひいては国民の主権を侵害するおそれがあるからであります。

だからこそ、規正制定以来、

今日に至るまで
何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても
実質的犯罪を伴わないものは、検察の言う単純な虚偽記載も含めて、

例外なくすべて、収支報告書を修正することで処理されてまいりました。
私の資金管理団体陸山会のいわゆる虚偽記載事件が立件されたあとも、本日ただいまも、そのような処理で済まされております。
それにも関わらず、唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけが

一昨年3月以来1年有余にわたり、
実質的犯罪を犯したという証拠は何もないにもかかわらず
東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。

もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領等実質的犯罪はまったく行っていません。
それなのに、なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで、何の説明もなく、
突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。
これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。
したがってこの事例においては、
少なくとも、実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
それなのに、一昨年春の西松事件による強制捜査、
昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、
延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸していると思います。
この捜査は
まさに検察という国家権力機関が
政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。

私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、
明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、
特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の濫用であり、
民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。


実際、日本外国特派員協会の会長でもあったオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、
近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で
「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、世界的に類を見ない」
と言っています。
「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、
表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、
生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
 

それ以上に、本件で特に許せないのは、
主権者たる国民から何も付託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり
それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
 

一昨年の衆議院総選挙の直前に、何の根拠もないのに
検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を濫用して、いきなり野党第一党の代表である私を狙って強制捜査を開始したのであります。
衆議院議員総選挙は、国民がみずから主権を行使して、
直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。
とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも
戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分予想された特別なものでありました。
そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない恣意的な権力の行使が許されるとするならば、
日本はもはや民主主義国家とは言えません。

議会制民主主義とは、
主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、
その良心と見識に基づいて、国民の付託に応え、国民に奉仕する政治であります。

国家権力の介入を恐れて、
常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。

日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察・警察官僚が結託し、
財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を濫用し、政党政治を破壊しました。
その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でありました。
昭和史の教訓を忘れて今のような権力の濫用を許すならば、
日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。

東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、
福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、
加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、
これ以上政治の混迷が深まれば、
国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、
社会の混乱は一層激化して、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。

そうした悲劇を回避するには、
まず国家権力の濫用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、
真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外にはありません。

まだ間に合う、私はそう信じます。

裁判長はじめ裁判官皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ

私の陳述を終えます。
ありがとうございました。


リンク:
小沢一郎の、初公判後の記者会見(TBSが割り込むルール違反とマスコミの偏向報道の嘘がすぐわかる)

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