2010年12月13日月曜日

台湾の表現規制

KITAMACHIさんのレポート

都条例についで、台湾の表現規制歴史を書いてみた

 

都条例改正案についで。都民どころが、日本人ではない私が口を出せる立場ではないですが、しょぼい日本語でちょっと…台湾の話をしよう。

あれは今から数十年前・・・いや、44年前だったか。私達にとっては昔の出来事だが、あなたたちにとっては、明日の出来事、になるかもしれません。

1960年頃、台湾の漫画界が輝く時代があった。人気漫画は実撮劇場作品になれるぐらいの、良い時代、らしい。


が、1966年に台湾政府が「編印連環圖畫輔導辦法」、人呼んで「漫畫審査制度」を可決しました。

曰く、国家政策と法律を反してるもの、倫理道徳を破壊するもの、少年児童の心身健康を妨げるもの、習俗を妨げるもの、迷信を宣伝するもの、国家社会に他の影響を与えるもの。 これらは漫画のイラストと文字に存在してはいけない。


犬は喋らない。ロボットの能力は制限されるべき、自由意識と言葉を持つべきではない。武器は現存のそれを超えてはならない、核やレーザー、ガスなど強力すぎる武器を使っていけない。etc…

一度輝いた台湾漫画界は、この制度に縛られて、やがて消滅しました。


それから十数年、1980年頃、日本の漫画が海賊版のかたちで輸入されて、詳しい原因はわからないですが、何故が台湾漫画ほどきびしい審査を受けてなかった。

それからの数年間、日本の漫画が子供の間で大ブーム。ドラえもん、ドラゴンボール、シティハンター、電影少女、らんま、ダイの大冒険……などなど。


そのブームの中に、台湾人オリジナルの漫画がなかった。

1987年、審査制度はようやく廃止されたが、焼け野原同然の台湾漫画界は一からやり直すしかなかった。


1992年、著作権法修正條文の実行により、海賊版漫画が姿を消し、代わりに日本からライセンスをとって、正規ルートから翻訳された日本漫画が現れました。

この正規日本漫画の流れに乗って、台湾漫画も歩き出して、各漫画週刊にて連載し始めました。一時それなりに盛り上がりました。

が、台湾漫画が何年も経たない内に数が減っていき、生き残ったのは日本の漫画だけになりました。 

そしてさらに十数年が過ぎ、漫画アニメといえば日本産、という現状になりました。 

私の少年時代は、日本漫画とともに育ってきた。そこからゲーム、アニメにハマってて、自学で日本語を学べて、日本の文化を理解して… 

審査制度以前の台湾漫画時代は、私にとってはもはや伝説みたいなものでした。 

もし漫畫審査制度がなければ、今の台湾漫画はどうなっただろ、と。今更考えるだけ無駄なことですが。 

今の日本は、まさにその歴史的な交差点に立っています。

(参考)
【シンポジウム】第3 回国際学術会議「マンガの社会性―経済主義を超えて―」17
台湾でのマンガ:整体史の観点から
陳仲偉 (台湾逢甲大學教養学部客員准教授)
の論文の一部を以下に抜粋

(2)漫画週刊誌と子供漫画の出現と流行
 しかし、初期の台湾漫画は新聞紙と雑誌の政治風刺漫画だけではない。洪德麟(1999)は、当初の台湾漫画の種類は主に二つの種類に分けられると指摘した。
 中国大陸から来た漫画家は評論的な風刺漫画とユーモア漫画を中心に、台湾地元漫画家は子供漫画と挿絵を描いている人が多いのだ。
 台湾地元漫画家と、政治漫画を中心にしている大陸から台湾に来た漫画家との方向性は大きく外れている。
台湾漫画家は主に子供漫画という領域で発展していた。
 1953 年当時、台湾には257 種類の雑誌があり、その中の三分の一には漫画は載っていた(楊孟瑜1988)。
 それらの漫画の大部分は子供漫画だった。1953 年の《學友》の発行は子供漫画の重要な基礎となった。これによって、雑誌に漫画を載せる漫画ブームを持ち出した1。
 その後、漫画専門誌が出現しはじめ、1958 年には、台湾の漫画雑誌が20 種類を超えた。
 1950 年代末に様々な漫画雑誌により起こった漫画ブームを引き継ぎ1960 年代に漫画の好況で次々とデビューした新人がもはや、当時の漫画雑誌には受け入れられないため、
はじめての漫画形式「単行本」が現れた。
 洪德麟(1998、1999、2003)によれば、当時に、漫画出版社が次々と開業した。たとえば、毋忘在莒、新臺、志成、太子、宏甲、藝昇、集英、義明、文昌、南昌などの出版社が出版戦争に加わった。
 その時にデビューした新人はほとんど十四、十五才で、十六、十七才に出世した。それに憧れ、大勢の人が漫画業界に没頭した。
 大部分の人は日本漫画を描くことから始めた。小学校卒業してから、弟子になった人や、中学校も卒業してないにも関わらず業界に踏み込んでいく人もいた。漫画家を目指す多くの新人が漫画家の事務所に寄り集まった。
 たとえば、当時の葉宏甲の所には二十人以上、陳海虹にの所にも四名が弟子入りしていた。他にも洪義男、淚秋、傑祥、范藝南、蔡志昌、許松山、王朝基、許華良など様々な漫画家が奇想天外な武俠、文芸漫画を共演した。
 だが、こうしたいい景気は長く続かなかった。このような子供を代償としての漫画は、早速政府に審査された。

3.<編印連環圖畫輔導辦法>と海賊版日本漫画
(一)<編印連環圖畫輔導辦法>、その背後の論理
 台湾漫画の発展をめぐる論考の大部分は、いずれも1966 年に実施された<編印連環圖畫輔導辦法>が1945 年から60 年代までの台湾漫画の発展を阻止したと指摘している。
 そのため、台湾漫画の漫画創作の欠落は二十年も続いた。それが、今の台湾漫画と日本マンガが競争できない主因と見られる。
 台湾の漫画界は<編印連環圖畫輔導辦法>を「漫畫審查制度」(漫画審査制度)と呼んだ。
 ここには漫画界がこの制度に対しての態度を表れており、この制度の運用とその影響を示している2。
 1962 年9 月27 日、台湾の行政院第七八三次会議で<編印連環圖畫輔導辦法>が通過した。その年の11 月6、7 日に内政部と教育部から公表され、実施された。
 審査を担当するのは教育部「國立編譯館」だった。本当に実施されたのは1966 年、教育部が執行した。
 1967 年にこの業務はまるごと「國立編譯館」に移管された。その後、審査のために、<國立編譯館連環圖畫編印及送審注意事項>、<國立編譯館審查連環圖畫補充注意事項>、<審查執照發給辦法>、そして<國立編譯館連環圖畫送審程序>と<編印及審查連環圖畫參考資料>が追加され、漫画の内容、絵の表現、言葉扱い、テーマ、印刷と編集などを規定した。
 漫画審査制度の台湾漫画への影響を論じたものを全般的に見ると、その論旨にはいくつかの共通点が見られる。
一、<編印連環圖畫輔導辦法>の大部分は規定自体に問題点がある。
二、<編印連環圖畫輔導辦法>は、漫画創作を殺して、台湾漫画創作の欠落をもたらした。
三、<編印連環圖畫輔導辦法>から逃れるため、出版社は日本マンガを取り入れた。その時から、日本マンガは台湾の漫画界における主導権を握った。今になってもそうだ。
 前述のいくつのポイント以外に、本論文は漫画審査制度の背後には、そのもっと深層に、長きわたる文化構造があると指摘したい。
 この構造こそ漫画審査制度を作った主因で、今も台湾漫画最大の挑戦なのだ。
 まず、離れて、遠くから全体の状況を見てみよう。
 実際に、漫画は台湾政府に全般的に拒否されたわけではない。
 1950 年代と1960 年代に、政府と軍隊は様々な漫画コンテストと展覧会を開催した。
 1950 年に、軍隊の中には漫画の部門があって、50 年代「政工幹部學校」(当時の政府が戦争の準備のため設立した学校。)にはもう漫画課程が設立した。
 漫画が文芸から排除されているのは事実だが、漫画界の中でも政治風刺漫画だけは、政府に認められた。
 当時の戒厳令と白い恐怖の台湾社会の雰囲気を考慮してみれば、漫画審査制度の問題は「もしも存在しなかったら」というようなものではない。漫画審査制度は出来るべくしてできたものだ。しかもこの問題は今も違う形式で続いている(つまり漫画のレイティング問題だ)。
 当時、審査された漫画は、政府が直接的に制御しづらい、子供読者をメインに市場に流通した「連環圖畫」だ。
 <編印連環圖畫輔導辦法>で、「本制度が指す連続絵は新聞紙、雑誌と各種の教科書以外の各種文字と絵でストーリーをつなぐ本である」、「政府は事実に応じて、連続絵への指導を強め、少年と子供の心身の健康と他の不良影響を防ぐため、この方法を公表した」3。
 政府が主導した政治漫画はこの審査制度に含まれていなかった。4
 1950 年代に築き上げられた台湾漫画の二つルート:政治に影響された風刺画と子供漫画。
 この二つのルートをあわせたら、まさに当時の政府と社会の主流な考えだ。漫画は抑圧されていた。漫画の読者は子供だったので、なおさら抑圧と補修が必要だ。
 これこそが本論文で指摘しておきたい台湾の漫画を長きにわたって支配してきた文化構造である:
つまり「政治風刺漫画は政治のイデオロギーで主導され、
政治に触れにくい子供漫画は、禁止と指導で、二つの方法で管理してきた」のである
 このような考えで、台湾の漫画文化が発展するための重要な基礎は狭くなった。つまり、漫画行動者だ。かつては、漫画の行動者というと、一番注目されたのは漫画作者のだ。これまでの漫画審査制度に関しての議論では、漫画家が審査制度への不満と遣る方ない気持ちについて言及しないものはいなかった。
 しかし、それ以外の漫画文化の行動者、つまり読者の方はほとんど触れられなかった。漫画審査制度が起こした漫画行動者の無力化はたんに作者が漫画を作れないだけではない。審査制度を作り出した人はただ自分の勝手で漫画読者(つまり子供)のために、完璧に見えるが、本当は幻で変な世界を作り出しただけだ。
 読者の声は漫画審査制度が出現して以来、今になっても、重視されていなかった。今もただ審査するのが主流から指導するのが主流に変っただけだ。

(2)台湾は「海賊版王国」となり、漫画論争に巡り合い1966 年から実施された漫画審査制度は台湾の1970 年代の連続漫画の創作をほとんど無にした。
 だが、李闡(1998:123-126)の《漫畫美學》では、1970 年代の台湾漫画の発展について、別の観点があった。
 李闡は70 年代に開かれた大型漫画展覧会と中華民国漫画学会の成立を取り上げた。そして、政治漫画が盛り上がっていることも指摘した。
 実際には、台湾漫画70 年代の衰弱と先ほど触れた漫画イベントの発展の間に矛盾はない。前に分析した台湾漫画の主な発展方向を振り返ってみれば、分かるだろう。ただし、市場から言うと、確かに漫画審査制度が、1970 年代の初期の台湾の漫画市場を潰したともいえるのだ。
 1975 年、國立編譯館の管理者は漫画創作の衰退を見て、日本マンガの審査を開放した。
 文昌出版社が創刊し、日本マンガを主にした《週刊漫畫大王》(この雑誌の台湾漫画はただ錢夢龍の《西遊記》だけ)が台湾の漫画市場を蘇った。
 審査範囲を開放したら、日本マンガを専門した出版社が次々と現れた(正確に言うと、日本マンガの海賊版を出版する会社だが)。大手会社は東立、虹光、伊士曼、華仁、遠大、志明、藍宏、力群など数十社にもあった。


(当ブログ主のコメント
東京都の青少年条例による201からのアニメ表現規制が始まって(施行)から、以下のように日本のアニメ産業の衰退が進んで行った。
(第1段階の衰退の進行
 アニメ製作者側からの第1次反抗による、逆に性の過剰露出表現による反抗があった。
しかし、当局基準に合わない性露出表現が粛々と規制され、反抗は無力であった。
アニメ表現者の性露出表現による反抗の挫折により、アニメ表現者の無力感から、表現者は、の奥底からの叫びをアニメに表現しなくなった。そのため、アニメには、人物の葛藤などの人間的要素の表現がされなくなり、内容が単調でつまらなくなった。
(第2段階の衰退の進行   
  

リンク:
韓国の表現規制と経済
自民党と公明党の児童ポルノ単純所持罪推進

憲法が保障する基本的人権は青少年も持つ
ポルノの大幅増加が性犯罪の劇的な減少と相関関係がある。特に青少年の間の性犯罪において顕著。
韓国で1700種類くらいのまんがが 有害図書に指定されアニメ業界壊滅
都の青少年健全育成条例改正案が招く表現萎縮とはどんなものか
マンガを規制すると13歳以下の少年による強姦犯罪が増す
東京都の少年非行の推移(13歳以下の刑法犯罪が急増)
アニメやインターネットが少年非行(恐喝)を減少させたかも
東京都の強姦犯罪件数
創作物の影響性なんて無かった
スウェーデンの表現規制
群馬県でも携帯フィルタリングを開始したら少年による強姦が増えた

(TPPに加入すると表現規制が強化される)
憲法が保障する基本的人権は青少年も持つ
二次創作禁止令?ニコニコ/YouTube/薄い本/Twitter終了!!ACTAとは
何の前触れもなく、突然サイトを閉鎖され、さらには刑事罰さえ科される法案 ACTA
児童ポルノ規制法案関係リンク集
児童ポルノ規制法案の経緯
京都府では児童ポルノ犯が増えていない
奈良県も、児童ポルノ単純所持罪を導入した後に13歳以下の犯罪が増えた
児童ポルノ犯人は増えていなさそうです
インターネットで出会い系サイト+非出会い系サイトによる被害が増えているマスコミ報道も嘘でした
児童ポルノで自殺した夫への愛を全うするために自殺した妻 ハードディスク上から“児童ポルノ画像”が数枚
児童ポルノの単純所持罪は治安維持法に類似
児童ポルノ単純所持罪がえん罪を生むしくみと背景
児童ポルノ規制法の単純所持罪は性犯罪を増す逆効果
治安維持法とゲーム規制
児ポ法改悪「与党(自民・公明党)案」は表現物に対する治安維持法でした!
徹底検証「児童ポルノ禁止法改正案」の危うい中身
児童ポルノ規制推進で生じる、更なる「鑑定」の脅威と令状主義の危機
ポルノの流布と強姦犯罪件数には関係が無いことが科学的に証明されています
デンマークの科学研究により児童ポルノ漫画有害論が否定された
アニメやインターネットが少年非行(恐喝)を減少させたかも
思春期の性の乱れの原因はインターネットでは無い
児童ポルノ規制法の単純所持罪は性犯罪を増す逆効果
イギリスの強姦件数の推移と児童ポルノ規制
表現・コミュニケーションを規制すると犯罪が増えるという法則
携帯フィルタリングを開始したら13歳以下少年による強姦が急増
東京都の少年非行の推移(13歳以下の刑法犯罪が急増)
東京都で携帯電話フィルタリングを開始したら少年による強姦犯が3倍増
大阪府も携帯フィルタリングを開始したら性犯罪が増えた
神奈川県でも携帯フィルタリングを開始したら少年による強姦が増えた
未成年による強姦は携帯インターネットに関係ない
群馬県でも携帯フィルタリングを開始したら少年による強姦が増えた
青少年条例を制定強化したら13歳以下の犯罪が急増した
和歌山県も携帯フィルタリングを開始したら13歳以下少年非行が急増
広島県で携帯フィルタリングを義務化したら13歳以下の非行が増加
長野県で13歳以下少年非行が改善されつつある



(別ページの重要ニュース速報)

国際機関をも黙らせる圧力
 最後に、アグリビジネスが世界の学界やマスメディアに及ぼす力に触れておこう。
彼らは自分たちへの批判に異常なまでの敵意を見せる。
遺伝子組み換え作物の安全性については、反対論や慎重論を政治的圧力で押さえ込む上に、
豊富な軍資金で言論も左右する。

  二〇〇一年、英国の科学雑誌「ネイチャー」に、遺伝子組み換え作物がメキシコの在来種にいかに悪影響を及ぼしているかを調べた論文が掲載された。

その直 後、研究者向けに、「論文はでたらめ」という数千の中傷メールが送られた。
メールの猛攻撃で「ネイチャー」はパニックに陥り、翌年の号で論文を取り消して しまった。
その後、メールはモンサント社が雇ったPR会社の作成だったことが判明した。
事件を暴いたジャーナリスト、ジョナサン・マシューズ氏は「連中に はひとかけらの倫理もない」と憤った。
 上の写真は、「モンサント社トウモロコシと発がん性に関連、マウス実験、フランス政府が調査依頼」の記事から借用。

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